vol.12 カオサンから市街地へ、路線バスに初挑戦|2001 マレー半島縦断 

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寺の裏を抜けてバス停へ

朝9時だっただろうか。それほど寝ていないのだが、暑さと眩しさで一度目が覚めた。体が汗でべとべとするので、そのまま寝るのはできなかった。水シャワーを浴びて汗を落とし、ついでに体温を下げてから、もう一度寝る。二度目の睡眠をとって起きたのは11時頃だった。

昨日仲良くなったH君が今日帰国するので、朝ご飯を食べた後そのまま街中まで行って見送ることになった。

外はすでにソンクラーンで狂喜乱舞していた。なんとか濡れずに行きたかったので、向かいの寺の境内を通り裏から抜けていくことにした。濡れたくない一心でバス停まで辿り着いた。途中何度か水はかけられたものの、致命傷にはなっていなかった。

路線バスに乗る

バンコクの路線バスに乗るのは初めてだった。

鉄道と違い、路線バスはどこへ向かうのか直感的に分かりにくい。とくに海外では、できれば避けたい乗り物でもある。だが、バンコクでは路線バスが網目のように張り巡らされ、本数も多い。しかも運賃は驚くほど安い。

先月バンコクを訪れたときは、なんとなく敬遠していた。滞在エリアがBTSスカイトレインの沿線だったこともあり、結局一度も利用しなかった。

だが今回滞在しているカオサンは、BTSが周囲になく、路線バスを使わなければ不便な立地になる。というわけで、今回はバスに挑戦することになった。

ジミー君のバスマップ

タイに長く滞在していた日本人、ジミー君が作ったバスマップは実に便利で、カオサンからの発着路線が一目で分かる。その地図を宿で確認しておいたおかげで、目的地へ向かうバスの番号を簡単に見つけることができた。

バス停で待っていると、次々とバスが通り過ぎていく。行先表示はタイ語なのでまったく読めないが、すべての車両に番号が表記されている。番号だけが頼りだ。

やがて目的の番号を掲げたバスがやって来た。

79番のバスに乗り込む。乗ったバスはエアコン付きで、中は思っていたより綺麗だった。予想どおりエアコンがすごく効いていて、快適だった。

バスの中も油断大敵

窓の外では、荷台に大量の水を乗せて水掛けをしている危険な車も走っていた。目が合ったかと思うと、普通にこちら目掛けて水が飛んでくる。窓が閉まっているエアコンバスで助かった。

助かったかと思うと、なぜか背中が冷たい。後ろの席にいたタイ人の若者グループが車内にも関わらず水鉄砲を撃っていたのである。「ハッピーニューイヤー!」と笑うしかないのである。

パンティッププラザで下車

その後、見慣れたパンティッププラザのビルが見えたので、下車ボタンを押して降りた。「よし、バンコクバス乗車完了!」などと心の中で囁いていた。

カオサンでは水掛けが行われているが、このあたりはほとんどやっていない。海賊版CDのたくさん売っているパンティッププラザを訪れて、それから伊勢丹へ向かった。

ところが、途中で見事に水をかけられた。車から過激な放水を受けてしまったのである。これがカオサンだといいのだが、こんな街の中心部で水浸しははっきり言ってかっこ悪い。仕方なく伊勢丹に入ったのだが、どうも目線が気になる。そしてエアコンが効いている店内に濡れたまま入ったから、めちゃくちゃ寒いのである。

伊勢丹でタイスキ

とにかくトイレに駆け込んで、シャツを絞って乾かした。しかし体の冷えは止まらず、ちょうど昼食時だったのでタイスキを食べることにした。タイスキはしゃぶしゃぶのようだが、どちらかというと鍋に近い。ここで体を温めようということである。

伊勢丹6階にあるコカというお店に入った。以前プーケットで行ったことのあるお店だ。ここの特徴は味というより店員が変な格好をしている。ポリスガールのような服装を着ているのだ。しかもそれが赤色。まあビールを飲みながら、いろいろな話をして、タイスキを平らげた。熱々の鍋で体も温まって、ようやく冷えが取れた。

その後、伊勢丹前の広場でずっとふたりで話し込んだ。男同士だったから、ロクでもない話ばかりしていたんだけど、なぜか同じ年なので話が合う。せっかく仲良くなれたのにと思ったが、ここからH君はエアポートバスで帰った。そして僕も伊勢丹の紀伊国屋書店で立ち読みをしてから宿に戻ることにした。

カオサンへの帰路

一度バスに乗れば怖いものなし。まあもともとバスに乗ること自体は怖い行為ではないのだけど。ソンクラーンは夜までやっているので、ちゃんとエアコンバスを選んでカオサンまで戻った。

ちょっと寂しさも味わいながら、宿に戻ればまた誰か話す人はいるものである。ただこういう旅にまだ慣れていない僕にとっては、ちょっと感傷的になっていたかもしれない。

1974年生まれの夜

そして昨日と変わらず夜中まで話が弾んだ。同年代が多いというのは見た目で分かっていたのだが、なんと同じ年の1974年(昭和49年)生まれが多いのである。今日帰ったH君も昭和49年生まれ。何かある歳なんだろうか。

当時26歳。会社に入って社会人経験を数年過ごして、一呼吸置きたいとか、やっぱり違ったとかで、会社を辞めた人ばかり。みんな一度リセットしにきたのかもしれない。ベビーブームで社会から溢れているのだなとか、そんな話をしながら夜は更けていった。

手前の男性はタイ人のスタッフ。室内はエアコンついているけど、22時で停止されます。

そしてカオサンでは相変わらずソンクラーン真っ只中。夜中だろうがまったく関係ないのである。

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