vol.8 郊外のアンコール遺跡群|2010 東南アジア周遊 vol.8

空と池が同じ色に染まる瞬間。アンコール・ワットのシルエットは、時空を超えて旅人を魅了する。
目次

朝4時すぎに目が覚めた。
約束どおり、ドライバーは寝坊することもなく、4時30分には宿の前で待機している。愛想はないが、仕事だけは実にきちんとしている。

南国とはいえ、この時間帯は暑さをほとんど感じない。
トゥクトゥクに身を預けて走ると、風が肌を撫で、むしろ少し肌寒いほどだった。夜と朝の境目にある空気が、静かに目を覚まさせてくれる。

宿からおよそ20分。
入場ゲートに差しかかると、こんな早朝にもかかわらず、係員がしっかりとチェックをしていた。

アンコールワットの夜明け

浮かび上がる西塔門のシルエット

4時53分。
西参道の入り口から、アンコールワットへと足を踏み入れる。正面に浮かぶシルエットは西塔門。東の空がちょうど赤みを帯び始めた頃で、朝焼けが静かに広がっていた。

西塔門をくぐり、祠堂へと続く参道を進んでいく。
足音だけが静かに響き、周囲はまだ夜の名残をとどめていた。

アンコールワットの祠堂に立つ塔が、闇の中にシルエットを描く。
余計な装飾を排したような輪郭が際立ち、ただそれだけで十分に美しい。

5時04分。
西側の聖池に到着する。

9年前にも、朝日を目当てにこの場所を訪れている。
ただ、そのときは太陽が昇る瞬間を狙った時間帯で、空全体が燃えるように染まる光景には出会えなかった。

空はすでにかなり明るさを増しているが、観光客の姿はまだまばらだ。
ツアーやガイドに任せてサンライズを待つと、もう少し遅い時間になるのだろう。その分、この時間帯は静かで、余裕があった。

おかげで、聖池を正面に望む良い位置に三脚を据え、落ち着いてカメラを構えることができた。夜明け前の空気と、ゆっくり変わっていく光を、静かに受け止める時間だった。

祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰のことわりをあらわす。
奢れる人も久しからず、
ただ春の世の夢のごとし。

平家物語に登場する祇園精舎。
本来、祇園精舎はインドにあり、釈迦が説法を行った寺院とされている。ただ、徳川時代の日本人の中には、アンコール・ワットこそが祇園精舎である、と捉えていた人々もいたようだ。

史実としては別の場所であったとしても、アンコール・ワットの歩んだ歴史に触れていると、平家物語の冒頭の一節が自然と重なってくる。
栄華を極め、やがて衰退し、長い時を経て再び人々の前に姿を現したこの遺跡は、まさに諸行無常という言葉を、静かに体現しているように思えた。

5時13分。
燃えるような空とは、まさに今、目の前に広がるこの光景のことだと感じた。空全体が深い赤に染まり、世界が静かに燃え上がるような迫力がある。

5時18分。
時間とともに、空の色は赤からオレンジへとゆっくり移ろう。
まるで遠くの地平線の向こうで、何かが静かに燃えているかのような光景だった。
光の変化が穏やかに広がるなか、ただ息を潜め、刻々と色を変える空を見つめ続ける。

池に映し出される色彩は、実際の空よりも強調されている。
吸い込まれにそうなる。

5時29分。
目の前の風景から、彩度が少しずつ失われていった。空の赤みが淡くなり、燃えるような光景は終わりを告げようとしている。――これで終わりなのか、と胸の中で小さなため息がもれる。

この時間になると、池の手前側には二重三重の人垣ができていた。
だが、東の空がもはや色づかなくなると、人々は徐々に散り始める。
あきらめの雰囲気が、静かに辺りを覆っていった。

自分も諦め、西塔門近くまで戻ってきたとき、ふと振り返ると空が再び染まり始めていた。
急いで元の場所へ戻らなければと、自然と足が速くなる。
朝の光は気まぐれで、ほんのひとときの色彩を見逃すわけにはいかない。

5時53分。
予想よりも北側から太陽が顔を出したため、今度は水のある聖池とは反対、右手側へと移動する。
アンコールワットの祠堂を前景に、太陽が昇る瞬間を捉えるためだ。

6時03分。
それでもやはり、聖池からの眺めが一番だと思い、元の場所へと戻った。
燃えるような赤い朝焼けのシーンも印象的だったが、今目の前に広がる、黄金色に染まる朝焼けもまた格別だ。

早起きは三文の徳とはよく言ったもので、おかげで、アンコールワットから昇る日の出を思う存分に堪能することができた。

日の出鑑賞を終えた後、急いでプノンバケンまで往復しながら、道や遺跡のあちこちでデジカメを探した。しかし、やはり見つからない。人は少なかったものの、観光客以外の地元の人々もすでに訪れており、仮に落としていたとしても、昨日のうちに誰かに拾われてしまったのだろう。

これで、あとはアンコールワットの事務所に問い合わせて見つからなければ、諦めるしかない。
事務所はこれから向かうバンテアイ・スレイとは逆方向になるため、帰りに立ち寄る予定だ。

アンコール遺跡群を後にし、バンテアイ・スレイを目指して北東へおよそ30分走る。
朝の空気は依然としてひんやりとしており、肌に触れる風が心地よく冷たい。

バンテアイ・スレイ

7時40分。
「女の砦」という意味をもつバンテアイ・スレイに到着。967年に創建された、ヒンドゥー教の寺院である。

赤色砂岩とラテライトで造られているため、朝の太陽の光を受けると、建物全体が鮮やかに赤く輝く。また、寺院は東向きに建てられており、光が差し込む午前中に訪れるのが最も美しいとされている。

バンテアイ・スレイの歴史は、10世紀後半にさかのぼる。967年、若き学者・僧侶のヤショヴァルマン1世の時代に創建されたとされ、ヒンドゥー教のシヴァ神を祀る寺院として建てられた。

この寺院は、アンコール・ワットやアンコール・トムとは異なり、規模は小さいものの、建築や彫刻の精緻さで特に知られる。赤色砂岩とラテライトが使用されており、その鮮やかな色は時間を経てもなお強く残り、建物や彫刻の細部を際立たせている。

バンテアイ・スレイはまた、王権や信仰の象徴だけでなく、当時の芸術的・技術的水準を示す重要な遺構でもある。長らく密林に覆われていたが、20世紀初頭にフランス人探検家によって再発見され、その後修復が進められた。

東門に差し掛かる。
これまで訪れた寺院に比べると、やはり非常にコンパクトな印象を受ける。
だが、その規模の小ささに反して、装飾は格段に凝っており、石に刻まれた彫刻の細やかさや精密さには目を奪われる。
小さいながらも、細部まで計算され尽くした美が詰まった寺院であることを、ひと目で感じ取れる。

東門の破風装飾に目を向ける。
三頭の象の上には東の方位神が鎮座し、その傍らには雨をもたらす雷神インドラの姿も刻まれている。バンテアイ・スレイはデバター像で有名だが、破風の細工もまた圧巻だ。

東門の破風の横に視線を移すと、マカラ(怪魚)の口からナーガ(蛇神)が姿を現している彫刻があった。
力強く湾曲する蛇の体と、怪魚の口の躍動感が見事に表現されており、単なる装飾を超えた物語性を感じさせる。

同じく東門の通路横にあるまぐさのレリーフに目をやる。
上部には時間を象徴する神、カーラが刻まれ、その眼差しは静かに全体を見守る。
下部には聖なる鳥ガルーダが翼を広げ、力強く大地を踏みしめる姿が描かれている。

時間を象徴する神カーラは、寺院の入口装飾として用いられることが多い。
訪れる者を迎えると同時に、永遠と無常、始まりと終わりを示す象徴として、その存在感を強く放っている。

東門をくぐると、目の前にはラテライトで作られた赤い参道が延びる。まるで寺院へのレッドカーペットのようだ。
両脇には、リンガの像が整然と立ち並び、参道の荘厳さをいっそう際立たせている。

バンテアイ・スレイの中心部、東塔門に立つ。
その裏手には中央祠堂が控え、手前には経蔵が並ぶ構造になっている。

東塔門の建物は、実際にはこんなに薄い構造をしている。
周囲にはロープが張られ、立ち入りは制限されているため、間近で見ることはできない。

バンテアイスレイの至宝デバター

中央祠堂、北祠堂、南祠堂の壁面には、今もなお非常に美しい装飾が残されている。
バンテアイ・スレイの代名詞とも言える、精緻で優雅なデバター像も、この壁面に刻まれており、寺院全体の美を象徴している。

北祠堂に刻まれたデバターは、彫りが深く、滑らかな曲線美が際立っている。
他のアンコール遺跡のデバターと比べても、その精緻さと優雅さは群を抜いており、まさにバンテアイ・スレイの象徴と言える存在だ。

北祠堂のデバターの中には、片目を開けてウインクをしているかのような表情の像がある。
深く彫り込まれた顔立ちと柔らかな曲線が、まるで生きているかのような親しみを与え、微笑みを交わすかのような印象を残す。

「東洋のモナリザ」と称されるデバターが、ここバンテアイ・スレイにある。
かつてフランスの作家が、そのあまりの美しさに国外へ持ち出そうとしたところ逮捕された、という逸話も残る像だ。

ドヴァラパーラと呼ばれる門衛神。デバターを取り囲む細かい彫刻も見事である。

立ち入り制限があるため、間近でその表情や細部をじっくり見ることができないのは、どうしても残念でならない。

第2周壁の西門の破風には、上段にラーマヤナの一節、サルの兄弟喧嘩が描かれている。ラーマ王子はスグリーヴァに加勢し、右から矢を放とうとしている姿だ。この戦いに勝ったスグリーヴァは後にラーマ王子を助けるが、その様子はアンコールワットの第1回廊のレリーフにも描かれている。

下段にはさまざまな神や伝説の動物が登場しており、目を凝らして見ると面白い発見がある。

東門にも雨を降らす雷神インドラが描かれていた。周囲の人々のポーズはどこか怪しく、いったい何を表しているのか想像が膨らむ。

頭がライオンで体が人間のナラシンハ。彫刻はもう隙間がないほどに施され、すべての面が装飾で埋め尽くされている。

中央で踊っているのは、破壊を司るシヴァ神。左下に描かれている女性は、カリーカラミヤという美しい王妃だ。王の死後、各地の王たちが彼女を奪い合ったため、自らの美貌や魅力を憂い、破壊神シヴァにその美しさを破壊してもらったという。

黒っぽく描かれているのは、カイラス山で瞑想するシヴァ神。その下では、20本の腕と10の頭を持つ魔王ラーヴァナが、邪魔をしようとしている。

バンテイアイ・スレイは見どころが多い寺院だが、周囲は環濠に囲まれた東西115m、南北95mの小さな規模である。混雑を避け、空いている時間に見学するのがおすすめだ。

環濠に咲いていた睡蓮の花。

環濠を取り囲む第1周壁の窓枠に座る女の子。窓枠がちょうどよい写真のフレームとなった。

あれ、お姉ちゃんを怒らせたのかな?

キャンディーをあげた途端、泣き出しそうな顔になった。知らないおじさんが怖かったのかもしれない…ごめんね。

参道脇には修復されていない建物もあるが、装飾の名残がしっかりと残っている。ナンディーに乗ったシヴァ神の姿も描かれていた。

その反対側の破風には、ナラシンハが阿修羅王を組み伏せ、殺そうとしているシーンが描かれていた。ライオンと人間の組み合わせが、これほどまでに恐ろしい姿になるとは……。

行きは入口で降ろしてもらったが、帰りは待機している駐車場まで10分ほど歩くことになる。小さな寺院ながら見ごたえがあり、じっくり1時間かけて回った。それでもまだ9時前で、土産屋もようやく準備を終えたところのようだ。これから観光客が増えてくるのだろう。

バンテアイ・スレイからさらに北東へ、車で30分ほど走る。もう9時を過ぎていたので、さすがに朝食をとらないと、体力がもたなさそうだ。バンテアイ・スレイの前に朝食をすすめられたのだが、できるだけ遺跡を人の少ないうちに見たかったため、少し遅らせてもらった。ドライバーもお腹が空いていただろうな。

1軒目に立ち寄ったレストランは、まだご飯が炊き上がっていないということで、移動してクバル・スピアン遺跡の駐車場横の食堂で朝食をとった。この後クバル・スピアン遺跡を見学するので、ドライバーもゆっくり休めたはず。鶏肉の炒め物と白ご飯が美味しかった。

クバルスピアン

クバル・スピアン遺跡へは、40分ほど山道を登らなければならないと案内にあった。スタート地点からおよそ1,500mの距離だが、朝食でお腹がいっぱいになった後には、ちょうど良い運動になりそうだ。

平坦な道ばかりかと思っていたら、意外と山道のような箇所も多く、登り坂が続く。サンダルのままで大丈夫だろうかと、少し不安になる。

残り1,000m。

振り返ると、眺望が開けてきた。ほとんどが木々に覆われている。こんな中に遺跡があったのだから、簡単には見つからなかったはずだ。

実際、クバル・スピアンは長い間森に埋もれており、地元の住民や探検家の目にほとんど触れることはなかったという。1930年代、オランダの考古学者によって遺跡の存在が知られるようになったが、当時は道もなく、発見には多くの困難が伴ったそうだ。

クバル・スピアンに到着。ふもとからおよそ30分で辿り着いた。

クバル・スピアンは「川の源流」を意味し、1059年に開かれた遺跡だ。インドのガンジス川を模した川底には、神々の彫刻が細かく施されている。

横たわっているのはヴィシュヌ神。そのお腹のあたりから伸びるハスの花の上で瞑想しているのが、ブラフマー神。

岩一面にはリンガとヨニの彫刻が施されている。長年の水の流れや人の往来の影響か、彫刻はところどころ消えかかっている。

先ほど見たのと同じナーガに横たわるヴィシュヌ神と、その上で瞑想するブラフマー神。ヴィシュヌ神の上半身やナーガの部分は、ほかの部分に比べて繊細に彫られているが、以前盗掘にあったため、新しいレリーフがはめ込まれたものだと思われる。

横たわるように彫られたブラフマー神。

川の手前にはロープが張られ、中に入ることはできない。遠くからレリーフを眺めながら、川沿いを歩いていく。

よく見ると、顔の部分が剥がれ落ちている。自然の影響によるものなのか、それとも盗掘によるものなのか、考えずにはいられない。

1辺が2mもある巨大なヨニが川底に横たわる。その周囲には「千本リンガ」と呼ばれる無数のリンガが彫られている。

リンガはヒンドゥー教における男性原理の象徴で、ヨニは女性原理を表す。二つが揃うことで生命の創造や宇宙の生成を象徴するとされる。ここでは、リンガを流れる水が聖なる水となると考えられ、川底に無数のリンガが造られたという。

8年前にアンコールワットを訪れたとき、クバル・スピアンはまだガイドブックに掲載されていなかった。これは、クバル・スピアンの近くにあるクーレン山が、大量虐殺を行い最後まで抵抗したクメール・ルージュの拠点だったため、一般には開放されていなかったからである。

今では、クバル・スピアンへの山道をひとりで歩いても、治安の不安は感じない。一応、ガイドブックにはガイドを付けて注意することと書かれているが、身構えるほどではない。(ドライバーに確認したけど、安全ということだったので一人で行った)

クバル・スピアンを下り、再びバンテアイ・スレイの近くを通って、そのまま南へ45kmほど走り、ロリュオス遺跡群へ向かう。

初期の首都だったロリュオス遺跡群

ロリュオス遺跡群は、アンコールワットよりも以前に都が築かれていた場所だ。現在のアンコールワットから東へおよそ13kmほどに位置し、9世紀初めにはジャヤバルマン二世によって都市の礎が築かれ、その後インドラヴァルマン一世が王都として寺院の建設を始めたとされる。この一帯には、アンコール王朝初期の都「ハリハラーラヤ」が置かれており、プリア・コーやバコン、ロレイなどの主要寺院が残っている。後に王都はアンコール方面へ移されるが、ここロリュオス遺跡群には初期クメール王朝の息吹が色濃く残っている。

バンテアイ・スレイ方面から訪れる場合、プリア・コー、バコン、ロレイの順に歴史上の建立順で巡るのが効率的だ。そのまま時代の流れを感じながら、遺跡を見て回ることができる。

プリア・コー(Preah Ko)

ロリュオス遺跡群の中で、最も古い寺院がプリア・コーである。つまり、アンコール遺跡群の中でも最古の寺院ということになる。創建は879年で、インドラヴァルマン一世が自身の祖先や王族のために建立したとされている。

寺院はレンガ造りを主体とし、基壇の上には表側に3基の祠堂が並んでいるが、背後にも同様に3基の祠堂があり、合計で6基の祠堂が建立されている。

プリア・コーは「聖なる牛ナンディン」を意味する。その名の由来は、祠堂の前に配置された3体の聖牛ナンディンにあるとされる。ナンディンとは、シヴァ神の乗り物とされる神聖な牛で、ヒンドゥー教においては忠誠と力の象徴とされる存在。

祠堂前に置かれた「聖なる牛ナンディン」。一番奥の像は損傷が激しく、もはや牛の形をとどめていない。

祠堂はレンガ造りのため、かつては損傷が激しかったそうだが、現在はきれいに修復されている。両脇には金剛力士像が配置されており、日本人にとっては仏教寺院に似た親しみやすさを感じさせる。

金剛力士像。
少しぽっちゃりのふくよかな体をしてますね。
日本の金剛力士像とイメージが違いますね。

扉部分の装飾も美しい。アンコールワットで最も古い遺跡のひとつだが、ところどころ保存状態が良く、彫刻がしっかりと残っている。ドア部分にはシンハ像が描かれており、ついタイのビールでおなじみのシンハを思い浮かべてしまう。

リンテル(扉の上部)にはガルーダの装飾が施されている。ガルーダとは、インド神話に登場する神鳥で、ヴィシュヌ神の乗り物として知られる。

レンガの上から漆喰で仕上げられていたが、そのほとんどは崩れ落ちてしまっている。ところどころに漆喰が残る装飾が、当時の面影をわずかに伝えているだけとなっている。

プリア・コーの象徴である煉瓦造りの祠堂。崩れかけてはいるものの、赤茶けたレンガの色がアンコール・ワットの石造りとは異なる温かみを生み出している。

祠堂側からみた聖なる牛ナンディンの像。
両脇の像はシンハ像が配置されている。

小さな遺跡でしたが、十分に見ごたえがあった。しかし、訪れたのは13時で、暑さとの戦いでもある。通常であれば、昼間は宿で休憩し、朝と夕方に遺跡を観光するところだが、このロリュオス遺跡群はアンコール遺跡群の東郊外にあるため、バンテアイ・スレイとセットで訪れるほうが効率的。

バコン(Bakong)

バコンは、アンコール時代初期の宗教的中心地で、クメール王朝初期の王、インドラヴァルマン1世によって建設された寺院だ。9世紀末に建てられたこの寺院は、王の権力と宗教的権威を示す象徴として造営され、ピラミッド型の巨大な基壇の上に中央の仏塔がそびえている。周囲には小さな祠堂や装飾が配置され、当時の王都における宗教儀礼の中心地であったことがうかがえる。

やはり、こんな真昼間に訪れる観光客は少ないのか、境内は空いている。

参道の入口に差し掛かると、左右の端に威厳ある7つの頭を持つナーガ像が鎮座していた。ナーガはインドや東南アジアの神話に登場する蛇神で、水や雨を司る存在とされる。あまりに暑すぎるため、思わずちょっとスコールでも降ってほしいと思うほど、晴天が続いていた。

日本のお城のように周囲を掘りで囲まれています。

聖典を収めたとされる経蔵(ライブラリー)。初期クメール建築の特徴である連子窓(れんじまど)が、今も力強く残っています。

崩落した部材を組み直して再建されたデヴァター像。まるでだるま落としのように、石のパーツが積み重なる構造になっている。

バコンは、アンコール遺跡群で最初のピラミッド型寺院とされ、後のアンコール・ワットのモデルになったといわれる。確かに中央祠堂の先端を見ると、アンコール・ワットを思わせる形をしている。

ここまで崩壊していると、元がなんだったのかまったく想像もできない。

バコン寺院は5層の基壇で構成されていて、上部まで登ることができる。ピラミッド型の中央構造は高さがおよそ14〜15メートルほどあり、遠近法を用いた設計で、実際の高さ以上に高く見えるよう工夫されているという。

上部まで登ってみたものの、周囲の木々が高く、思ったほど見晴らしは良くなかった。これらの木々が近代まで遺跡を隠していたのだろう。

ピラミッドの周囲にも小さな祠堂があるが、暑さのせいでじっくり見る余裕はなくなってきた。

ロレイ(Lolei)

ロリュオス遺跡群、最後に訪れたのはロレイ。
ロレイは10世紀末、ジャヤヴァルマン5世によって建立されたヒンドゥー寺院で、かつては都の中心地として栄えた。ロリュオス遺跡群の初期に建てられた寺院より後の時代に建てられたため、建築様式や彫刻に時代の変化が感じられるという。

日差しが強く、すぐにでも日陰に逃げ込みたくなるほど暑い。やはり、日中の遺跡観光はあまりおすすめできない。湿度も高く、太陽の照り返しや地面が熱を帯びることで体感温度はさらに上がるため、午前や夕方を中心に回るほうが快適だろう。

ロレイの4つの祠堂の中央には、水路の跡が残っている。寺院の周囲はかつてバライという貯水池で囲まれ、水に関する儀式がここで執り行われていたそうだ。

中央にあるのはシヴァ神のリンガで、このリンガを中心に水を流すための水路が設けられ、清められた水が寺院の周囲に巡っていたのだろう。リンガは創造と生命の象徴とされ、流れる水と結びつくことで、清めや生命の力が宿ると信じられていた。こうした仕組みは、先ほど訪れたクバル・スピアンにも通じるものがある。

祠堂に施されたデヴァター像が目を引く。祠堂全体は崩落が激しいが、像はあまりに美しく、思わずレプリカではないかと思ってしまうほどだ。
この祠堂のレンガの上にはかつて漆喰が塗られていたそうで、その一部が今も残っている。

別の場所に置かれていた2体の金剛力士像(ドヴァラパーラ)。片方は力強い印象を放ち、もう片方は柔らかい表情で、同じ像でも異なる個性を感じさせる。

砂岩に彫られたサンスクリット文字が目を引く。砂岩と聞くと、砂のようにもろいのかと思ったが、水中で堆積してできたため、強度の高い岩だという。この地域に多いコウモリの糞は酸化して石を劣化させるそうだが、砂岩は酸化にも強く、長い年月でも形を保っているのだそうだ。

祠堂の内部には、石像が乱雑に置かれたままになっている。思わず、盗まれないかと心配になってしまう。

遺跡内で遊んでいた子供に、日本の100円ショップで買ったボールペンをあげると、嬉しそうに胸ポケットにさしてくれた。
あまりにも嬉しそうだったので、もう少し良いボールペンを持ってきてあげるべきだったかもしれないと、少し心が痛んだ。

ロレイは非常にコンパクトな遺跡で助かりました。時刻は14時前。これで撤収です。

宿に戻る前にアンコールワットの事務所に立ち寄りましたが、デジカメの落し物は届いていませんでした。すでにあまり期待していなかったため、落ち込むこともなく、念のため書類に必要事項を書き込んでおきましたが、連絡が来ることはありませんでした。

通常であれば、どこかの遺跡から夕陽を眺めるのですが、朝から長距離運転してもらっていたこともあり、夕陽鑑賞はあきらめました。まあ、自分も暑さで少しばてていたのですが。

宿に戻ってシャワーを浴び、エアコンを効かせた部屋で昼寝をしていると、外はすっかり暗くなっていました。ロビーにいた、GW休暇で訪れていた社会人男性を誘い、宿の近くでタイ風すき焼きを食べに出かけます。中心部の欧米人観光客でにぎわうパブストリートまでは足を伸ばしませんでしたが、治安も改善され、宿周辺も多くの地元民で賑わっていました。

8年前(2002年)には、ガイドブックに「暗くなったら銃で撃たれる可能性がある」との注意書きがあり、夜間には外を出歩かないよう勧められていた。あれから8年が経ち、今目の前に広がる街や宿周辺の賑わいを見ると、その光景がまるで遠い昔の出来事のように感じられる。

危険で訪れることができなかった遺跡も増え、夜になっても安心して歩ける日常が戻ってきている。かつて治安の悪かったカンボジアは、もはや遠い昔の話のようで、それを実感した1日になった。

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