vol.7 壮大な石絵巻で感じるアンコールワット|2010 東南アジア周遊

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アンコール遺跡といえば、まず思い浮かぶのはやはりアンコールワットです。
以前は遺跡群全体のことを知らず、アンコールワットだけがあると思っていたほどでした。

アンコールワットは他の寺院とは異なり、西向きに建てられています。
そのため、西日が差し込む午後の時間帯に訪れるのがもっとも美しく眺められるおすすめです。

アンコールワットの周囲は幅190メートルもの濠に囲まれています。
これほど広大な濠は、日本の城郭でもなかなか目にすることはできません。

西側の参道入口からは、祠堂の塔の先端がわずかに見える程度。
西塔門を越えて祠堂に至るまでには、かなりの距離があることが一目でわかります。
その距離感が、寺院の壮大さをより一層際立たせています。

西側の参道入口から祠堂の先端がわずかに見えたあと、最初に出迎えてくれるのが西塔門です。
門に近づくと、逆に祠堂の姿はまったく見えなくなってしまいます。
この瞬間に感じる、塔が徐々に姿を現すまでの距離感と期待感が、アンコールワットの壮大さを際立たせています。

門まで進むと、中央で人々が立ち止まっているのが見えます。
その理由はすぐにわかりました。

西塔門の門を額縁のようにして姿を現すアンコールワット。
その演出には思わず息を呑みます。
訪れるたびに感じるのですが、この見え方は、設計者が意図して作ったものではないか、とつい想像してしまうほど計算された美しさです。
二度目の訪問でも、その瞬間の感動は色あせることがありません。

西塔門を抜けると、中央祠堂までさらに350メートルにわたる参道テラスが続きます。
まだ暑い日中の時間を狙ったせいか、観光客の姿はまばらです。

中央祠堂に向かって真っすぐ進みたいところですが、西塔門の裏側にも見どころがあります。
そこに足を向けると、門をくぐるだけでは気づかなかった細やかな彫刻や装飾の数々が目に入ってきます。

西塔門のデバター

西塔門の裏側に足を向けると、デバター(女神像)が美しい状態で残っているのが目に入ります。
一見すると同じように見えるデバターも、よく見るとひとつとして同じものはありません。
彫りの表情や装飾の細部に、それぞれ個性があり、丹念に造られたことが伝わってきます。

まさに、デバターの美術館といった趣です。
デバターだけでなく、周囲の壁に施された彫刻もまた、とても美しく目を引きます。

西塔門の裏側はつい見落としがちですが、時間をかけてじっくり見ていく価値が十分にあります。
歩みを止めて細部を眺めることで、アンコールワットの造形の奥深さをより実感できるのです。

逆さアンコールワット

西塔門から中央祠堂までの参道は350メートル。
日差しを遮るものがほとんどないため、とにかく暑さが厳しい時間帯です。
ただ、ツアー客が訪れる時間を避けているおかげか、参道は意外にもすいていて、のんびり歩けるのはありがたいところです。

中央祠堂の中心部は修復作業中で、緑色のネットに覆われていました。
写真に収めるには少し残念な景観ですが、さらに正面のテラスから入場することもできず、訪問者は外側からその姿を眺める形になります。

参道を少し外れると、聖池が広がっています。
ここは、アンコールワットが水面に逆さに映ることで知られ、人気の撮影スポットになっています。

ただ実際には、写真映えを意識してこの聖池にはホースで水を汲んでいるようで、反対側にあるもうひとつの聖池には水がまったくありませんでした。
こうした裏事情を知ると、観光写真の印象と現実の景観の違いにも少し驚かされます。

他の寺院と比べても、ひときわかっこよさを感じさせるのが、五つの大きな塔です。
たけのこのようでもあり、ミサイルのようでもある独特の形は、他に類を見ません。

中央祠堂の塔は高さ65メートルにも及び、ヴィシュヌ神が降臨するとされる世界の中心山「メール山」を模した場所と考えられています。
塔の存在感は、アンコールワットの壮大さを象徴する象徴ともいえるでしょう。

第一回廊のレリーフ

アンコールワットは三層構造になっており、外側の第1回廊の壁には精緻なレリーフが彫られています。
これもまた、アンコールワットの大きな見どころのひとつです。

正面(西側)の左手から入場すると、回廊のレリーフは一周にわたって描かれ、まるで絵巻物のように物語が展開していきます。
観賞の順序は半時計回りに決められており、壁の物語を順に追いながら歩くことができます。

<西面の北側>古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』

古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』
ラーマ王子と悪魔王ラーヴァナとの戦いが、長い回廊の壁一面にわたって刻まれています。
連続する彫刻を追っていくと、物語が時間軸を持って展開していく構成がよくわかります。

ラーマ王子の援軍として、ハヌマーン将軍に率いられたサル軍が参戦。
刀を手にするラーヴァナ軍の兵士へ、一斉に襲いかかる場面が力強く刻まれています。
人と猿の動きが交錯し、戦いの激しさが壁面から伝わってきます。

弓を射る兵士がラーマ王子。その肩に担がれているのが、サル軍を率いるハヌマーン将軍です。ラーマ王子の背後には、右に弟ラクシュマナ、左にヴィビーシャナの姿が刻まれています。

十の頭と二十の腕を持つ魔王ラーヴァナ。
圧倒的な力と恐怖の象徴として描かれ、ラーマ王子が討つべき最大の敵であることが、この異形の姿からもはっきりと伝わってきます。

黒く照り光った部分があったり、ところどころに朱色が残っていたり。
デバターやほかの彫刻と比べると、表現はやや平面的で、立体感には欠ける印象も受けます。

それでも、大きな壁一面に展開されるレリーフの物語は圧倒的です。
長大な回廊を歩きながら追う叙事詩の世界に、思わず足を止めて見入ってしまいます。

猿王スグリーヴァと、クンバカルナの子クンバとの戦い。
猿や悪魔たちが入り乱れる激戦の様子が、壁一面に見事に描き出されています。

それぞれの動きが重なり合い、混戦の只中にいるかのような臨場感があります。

<西面の南側>ヒンドゥー教の大叙事詩『マハーバーラタ』

ヒンドゥー教の大叙事詩『マハーバーラタ』に登場する、パーンダヴァ王家とカウラヴァ王家のあいだで起こった同族間の大戦。親族同士が争う壮絶な物語が、長大な回廊の壁一面にわたって彫り込まれています。

レリーフの左側から進軍するカウラヴァ軍。
戦車に乗る武将や密集した兵の動きが力強く刻まれ、戦いへ向かう緊迫した空気が漂っています。

右側から進軍するパーンダヴァ軍。
弓を引く兵士や戦車、象の行進が連なり、戦場へ向かう高揚と張り詰めた気配が石の彫刻から感じ取れます。

南西角の柱のレリーフに施された彫刻。

西面を見終えました。
これでまだ4分の1です。

引き続き、アンコールワットの第1回廊のレリーフを鑑賞します。
南面の西側から見ていきます。

<南面の西側>偉大な王の歴史回廊

アンコールワットの創建者スールヤヴァルマン二世。

ナラパティーンドラヴァルマン公。

王様らしき人物は、みんな浮かれた格好をしています。

兵士の頭の飾りが違うシャム兵士の行軍。
シャムは現在のタイのことで、要は外国人の傭兵部隊です。

<南面の東側>天国と地獄

上から天国、中段が現世、下段が地獄と3段に分かれて描かれています。

下段の地獄絵図が一番理解しやすいです。
こん棒をもった鬼に人がたたかれています。

中段の現世
閻魔大王のもとへ向かう駕龍上の王。

18本の手に剣を持ち水牛に乗ってる閻魔大王。
仏教だけでなく、ヒンドゥー教でも登場するんですね。

柱に刻まれたカンボジア語の文字。
独特の曲線を持つ書体には趣がありますが、読み解くのは相当難しそうです。

<東面南側>乳海攪拌

乳海攪拌 神阿修羅と神々。

この先は修復工事中となっており、「乳海攪拌」の物語の核心部分を見ることができませんでした。
いったん回廊の外へ出て、別の場所へ足を運びます。

第1回廊の東塔門に描かれたデバター。
ふくよかな体つきが印象的で、石の質感からもやわらかな雰囲気が伝わってきます。

修復工事がなければ、そのまま気に留めずに素通りしていたかもしれません。
そう考えると、この立ち寄りはある意味、幸運だったようにも感じられました。

アプサラ像の胸元だけが、黒く色を変えているのが気になります。
長い年月のあいだに、多くの人が触れたことで石の色が変わったのか。

どこか遊び心で造られたようにも見える、アニメのキャラクターのような表情をしたアプサラ。角度を変えて眺めていると、子どもの顔のようにも見えてきます。

<東面北側>ヴィシュヌ神と阿修羅の戦い

ヴィシュヌ神と阿修羅の戦い

今までのレリーフに比べ、彫りが浅くて少し見づらいような気がしませんか。
この東面北側からは、彫られた年代がまったく違います。
今まで見てきた西面、南面、東面南側は12世紀のアンコールワット建立時、
東面北側、北面は16世紀にアンコールワットを再発見された際に、作られたようです。

ガルーダの上のクリシュナ神。
その右にバララーマ、左にプラディユムナ。

<北面東側>クリシュナとバーナ(阿修羅)の戦い

彫りがどんどん薄くなっていき、見づらくなっていきます。

クリシュナとバーナの戦い 24本の腕を持つバーナ

<北面西側>神々と阿修羅の戦い

神々と阿修羅の戦い ナーガに乗るワーロナ神。

ようやく第1回廊のレリーフを一通り見終えました。

歩みを進めながら細部に目を凝らしていくと、石に刻まれた彫りの繊細さや、当時の人々の信仰心の厚さを感じずにはいられません。

各レリーフについては説明文を添えていますが、実際の見学では、保存状態がよさそうな部分や、登場人物が大きく描かれている場面を中心に写真を撮っただけでした。
帰国後、ブログを書くにあたり、図書館で資料を調べながら、描かれている内容を確認した次第です。

もっと物語を理解したうえで見ていればよかった、という思いも残ります。
そうすれば、レリーフに刻まれた叙事詩の世界を、さらに深く味わえたはずです。

重要な場面となるレリーフをいくつも見落とし、写真に収めていなかったことも、今となっては少し悔やまれます。

第2回廊へ

第1回廊の西塔門と第2回廊のあいだには、「十字回廊」と呼ばれる回廊があります。
ここを抜け、正面に延びる階段を登ると、第2回廊へと続きます。

十字回廊の天井や柱には、今も朱色の痕跡が数多く残っています。
建立当時は全体が朱色で彩られていた、という説もあるようですが、はっきりしたことはわかっていません。

十字回廊と呼ばれていますが、実際の平面は漢字の「田」の字のような形をしています。
その「田」の空白部分は通路よりもかなり低く造られており、かつては池が設けられ、沐浴の場として使われていたそうです。

十字回廊に刻まれた、アプサラのデバター。
手が届きやすい位置にあるためか、やはり胸元だけが黒く色を変えています。

その部分だけが際立って見え、まるで水着を身に着けているかのよう。
人の手が触れ続けてきた時間の積み重ねが、思いがけない形で彫刻に刻まれているようでした。

手の部分も同じように黒く変色しています。
この黒ずみの理由については諸説あるようで、単に人が触れ続けただけでは、ここまで黒くならないという見方もあるそうです。

そう聞くと、なおさら本当の理由が気になってきます。

柱に刻まれていたアプサラのレリーフ。
彫りはまだ浅く、どうやら下書きの段階で止まっているようでした。

十字回廊から階段を登り、第2回廊へ向かいます。
第2回廊は第1回廊とは趣が大きく異なり、目立った見どころはほとんどありません。

壁面にレリーフはなく、ところどころに壊れた仏像が置かれている程度。
静かな空間が続き、先ほどまでの装飾の密度との差が、かえって印象に残ります。

ここは、第2回廊と第1回廊のあいだに広がる中庭です。
第1回廊の内側の壁面にはレリーフが刻まれているため、窓はひとつも設けられていません。
同様に、第2回廊外側にも窓はなく、どちらの回廊からも中庭を眺める構造にはなっていません。ない。

第2回廊の内側には連子状の窓が設けられており、そこから中央祠堂を望むことができます。
中央祠堂は、かつて限られた者しか立ち入ることが許されなかった場所だといわれています。
人々はこの第2回廊から、連子窓越しに中央祠堂を仰ぎ見ていたのかもしれません。

第2回廊の外側、中央祠堂とのあいだの壁には、美しいデバターが数多く残されています。
顔立ちや上半身の表現はとても丁寧で、彫刻としての完成度の高さがはっきりと伝わってきます。

一方で、下半身の造形にはやや粗さを感じました。
とくに足首より下の表現は気になる部分で、上半身との出来の差が、かえって印象に残ります。

未完成のまま残されたデバター。
意図的なものではないのでしょうが、彫刻の工程を示す見本のように、制作過程がそのまま読み取れます。
完成作だけでは見えない、造り手の手仕事の痕跡が静かに残されていました。

とても味わい深い表情をした、アプサラのデバター。
自然風化によって生まれたと思われる石の滑らかさが、彫刻全体にやわらかな印象を与えています。

第2回廊の内側の壁は、まさにデバターの美術館といった趣です。
長い時間を経てこそ生まれた質感が、この場所ならではの魅力として心に残りました。

第2回廊を見終え、いよいよ中央祠堂へ登ろうとしたところ、全面的な修復工事のため立ち入り禁止となっていました。
アンコールワットの核心部ともいえる場所だけに、残念な気持ちは隠せません。

中央祠堂の外壁にも、多くのアプサラのデバターが見受けられます。
間近で見ることはできませんが、外側からでもその数の多さと彫刻の美しさは十分に伝わってきます。

中央祠堂に入れなかったにもかかわらず、アンコールワットに足を踏み入れてから、すでに2時間が経っていました。

夕陽を見に行く予定の時間までは、まだ余裕があります。
ただ、朝からずっと遺跡を見続けてきたせいか、正直なところ少し飽きも感じ始めていました。

無理をせず、少し早めに切り上げて、プノンバケンへ向かうことにします。
あの丘の上で、ゆっくりと太陽が沈んでいくのを眺めたい。
そんな気分でした。

プノンバケン

プノンバケンは、アンコールワットと道を一本挟んだ、わりと近い場所にあります。
「プノンバケン」とは“バケン山”という意味で、標高67メートルほどの小高い丘の上に遺跡が築かれています。
眺望がよく、夕日鑑賞に最適な場所として知られているため、非常に人気の高いスポットです。

標高はわずか67メートル。
数字だけ見れば大したことはなさそうですが、熱帯の気候の中での山登りはとにかく暑い。
所要時間はおよそ15分弱ですが、噴き出す汗と格闘しながら登ることになります。

プノンバケンは、アンコール遺跡群の中でも初期に建立された寺院のひとつで、
10世紀初頭、ヤショヴァルマン1世が遷都した際に、須弥山(メール山)を模して築かれたものです。

寺院は五層からなるピラミッド型。
インドネシアのボロブドゥール遺跡と類似していると紹介されることもありますが、
二日前に実際に訪れたばかりの身としては、正直なところ、あまり似ているとは感じませんでした。

最上部へ続く階段は、手を使わなければ登れないほど急な造りです。
ただし、裏側には急な階段を避けられるよう、緩やかな迂回路が設けられており、
体力に自信のない人でも上まで辿り着けるよう配慮されています。

樹木に視界を遮られる部分はあるものの、最上壇からはほぼ360度の眺望が開けています。
南東方向にはアンコールワットの中央祠堂が望め、その姿を通して、遺跡全体がいかに深い樹林帯に囲まれているかを実感することができます。

16時40分。
プノンバケンの最上壇は、思いのほか広いテラスになっています。
日の入りまでは、まだ1時間半ほど。夕陽目当ての観光客が本格的に集まる前で、周囲はまだ比較的静かでした。

最上壇の中心に建つ祠堂。
アンコール遺跡群の中で、もっとも高い場所に位置する祠堂だそうです。

16時56分。
サンセットまでは、まだ1時間以上あります。

これから観光客が増えてきても夕日が見えるよう、
段差のあるテラスの上に場所を確保し、
しばらくのあいだ、何もせずにぼーっと過ごすことにしました。

17時47分。
サンセットの時刻が近づくにつれ、観光客が次々と押し寄せてきます。

ふと横を見渡してみると、思わず息をのむほどの人だかり。
1時間前までの静けさが、まるで嘘だったかのようです。

人々は皆、食い入るように沈みゆく夕日を見つめ、
その一瞬を逃すまいと、黙々とカメラに収めていました。

しかし、地平線のあたりには厚い雲が垂れ込め、太陽はその向こうに姿を隠してしまいました。
過度な期待はせず、しばらくそのまま待つことにします。

地平線近くに横たわる大きな湖は、西バライと呼ばれる人造湖。
11世紀末に築かれたアンコール遺跡群のひとつで、東西およそ8km、南北約2kmにも及びます。

900年以上も前に、これほどの規模の人工湖が造られたとは、にわかには信じがたい。

厚い雲の切れ間から、ふたたび太陽が姿を現しました。
それを合図にしたかのように、周囲から歓声があがり、デジカメのシャッター音が一斉に響き渡ります。

雲が多かったため、空一面に夕焼けが広がることはありませんでしたが、
沈みゆく太陽そのものの存在感は申し分ありません。

18時11分。
西の彼方へと、ゆっくり太陽が沈んでいきました。
観光客たちはいっせいに下山を始めますが、私はしばらくその場に残り、静かに余韻を噛みしめていました。

振り返れば、本当に最高の一日でした。

ここまでは・・・

ふもとまで下り、ドライバーと合流した頃には、あたりはすっかり暗くなっていました。
宿へ戻る車中、夜のシェムリアップの車窓風景を撮ろうと、いつもの小さなデジカメを探したのですが、見当たりません。

宿に着いてから、トゥクトゥクの座席の隙間を一通り探し、部屋に戻ってザックの中身もすべて出して確認しましたが、それでも見つかりませんでした……。
プノンバケンで夕日が沈むところまでははっきり覚えているので、どうやら下山の途中、ザックから落としてしまった可能性が高そうです。

ついていないことは重なるもので、パソコンのACアダプターが故障しており充電ができず、
SDカードの容量に余裕があったこともあって、この日までバックアップを取っていませんでした。

明日、念のためプノンバケンにもう一度行ってみるつもりですが、正直なところ、期待はあまりできません。
気持ちを切り替える意味もあって、先にアンコールワットの夜明けを見に行くことにしました。
日の出前の暗いうちから見るには、宿を4時30分頃に出る必要があるそうです。

カメラを失くしたショックもあってか、食欲はほとんど湧かず、
菓子パンをひとつだけ口にして、早めにベッドに入りました。

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