vol.6 密林に佇む遺跡 アンコールトムをじっくり歩く|2010 東南アジア周遊

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4か国目、カンボジアへ

朝5時。空港はすでに多くの人で賑わっていた。
ジョグジャカルタほどではないが、ここもチェックインカウンターは混雑している。理由は明白で、7kg以上の荷物は預ける際に有料だからだ。事前に支払っていない人が多く、そのやりとりに時間がかかっている様子だった。

AK280便 07:00KUL → 08:00REP(2:00)

出国審査を済ませ、歩いて自分の乗る飛行機へ向かう。
今まで見たAIR ASIAの機体とは色がまったく違い、ブルーを基調とした機体だった。

搭乗者全員が席に着き、飛行機が動き出したのは定刻より20分遅れ。
チェックインの混雑に加え、飛行機までの移動も遠い。早めに来なければ、遅れは避けられないだろう。夜が明けるどころか、太陽がゆっくりと昇り始めていた。

飛行機は南に向かって離陸。ところどころに朝靄が立ちこめている。
この後、旋回してカンボジアのある北方面へ向かう。

窓が西側に変わると、目の前には一面の青空が広がった。
上空の積乱雲に朝日が当たり、きらきらと輝いている。
その雲の下はまだ暗く、空の下では夜が残っていることがわかる。すね。

窓の外の景色は変わり、マレー半島を抜けると太平洋側のタイランド湾が広がっていた。
次に陸地が見える頃には、もうカンボジアの地上だろう。

ウトウトしているうちに、飛行機はすでに着陸態勢に入っていた。
眼下には緑の大地と蛇行する川、まさに東南アジアらしい風景が広がる。
川沿いには無数の水上集落が立ち並び、暮らしの気配が伝わってくる。

2時間のフライトはあっという間だ。
短い便は機内サービスがないぶん、座席でゆっくり過ごせるのも嬉しい。

マレーシアは9年ぶりだったが、カンボジアは8年ぶり。
さすがにまだまだ田舎の雰囲気が色濃く残っている。

定刻の8時にシェムリアップ空港に到着。
出発が20分遅れていたのは、すでに想定済みだったわけだ。
ということは、実質のフライト時間は1時間40分弱というところか。

照りつける日差しは半端なく強く、蒸し暑さもひときわだ。
今回訪れたホーチミン、ジョグジャカルタ、クアラルンプールと比べても、断然暑い。

カンボジアもビザが必要だが、アライバルビザで取得可能。
多くの人が現地で取得するため、流れ作業のように簡単だ。
申請書に記入し、20USDを支払い、パスポートにビザシールを貼るだけで手続きは完了する。

今回は事前にタケオゲストハウスに送迎をお願いしていたので、
到着後はドライバーと待ち合わせ、市内にあるのタケオゲストハウスへ向かった。
ちなみに送迎は別料金の2USDだ。

タケオゲストハウス

シェムリアップの日本人宿として有名なタケオゲストハウス。
一度泊まってみたかったので、今回はあらかじめ予約しておいた。

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8年前、バンコクからの直通バスで到着した際は、指定されたゲストハウスに連れていかれた。
当時はまだ治安が十分ではなかったため、仕方なくその宿に泊まったのだ。

エアコン・トイレ・シャワー付きで、この広さが12USD。安い!
ドミトリーなら2USDとさらに格安だが、もう若くはないので今回は個室で快適さを優先した。

空港から宿まで送迎してくれたドライバーが、そのまま担当ドライバーになるようだ。
行きたい場所を伝え、遺跡の太陽の当たり具合、回りやすいルートを組んでくれた。

空港から宿まで送ってくれたドライバーが、そのまま観光時の担当になるらしい。
行きたい場所や、遺跡での太陽の当たり具合、回りやすいルートまで組んでくれた。
価格はあらかじめ決まっているが、それほど高くはないので言い値で決定する形だ。
基本は1日チャーター10USD。朝日観光は2USDプラス、バンテアイスレイやクバルスピアンのような遠方まで行くと7USD追加など、分かりやすい料金設定になっている。

8年前はバイクタクシーで観光したが、今回は体力面を考えてトゥクトゥクを選択。
ドライバーは30歳ぐらいの男性で名前は忘れたが、特に愛想が良いわけではないものの、約束はきっちり守り、真面目な人だったので、最終日まで気持ちよく利用できた。

午前9時にゲストハウスに到着。まだ時間は十分ある。
通常は早朝や朝、夕方に遺跡を回り、昼間の暑い時間は宿で休憩するのが定番だが、今回は時間を有効に使うため、そのまま夕方までぶっ通しで遺跡観光することにした。

アンコールワット遺跡

ゲートでアンコール遺跡の3日券をUSD40で購入。
アンコールワットの横を通り過ぎ、アンコールトム南側の入口、南大門には9時40分に到着した。

アンコールワットはアンコール遺跡群の中心的存在であり、密林の中にはアンコールワット以外にも無数の遺跡が点在している。

ドライバーは各遺跡の前で降ろしてくれ、あとは自由時間だ。
8年前はバンコクで知り合った日本人と一緒で、のんびり写真を撮ったりする余裕がなかったが、今回はじっくりと見て回るつもりでいた。

アンコールワットは12世紀初頭、クメール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって建設されました。ヒンドゥー教の宇宙観を反映した寺院で、王の権力と宗教信仰の象徴とされました。建設後は仏教寺院としても使用されましたが、15世紀にクメール王朝が衰退すると密林に埋もれて忘れ去られます。西洋人による再発見は19世紀初頭、フランスの探検家アンリ・ムオによって行われ、その後、調査や修復が進められるようになりました。

南大門

アンコールトム遺跡は、一辺が3キロもある正方形の都の跡だ。
周囲は城壁に囲まれ、さらに外側には幅100mもの堀があり、東西南北のゲートにのみ橋と門が設置されている。

メインゲートから来ると、自然と最初に訪れるのが南大門だ。
外の門に比べて保存状態が良く、最初に訪れるという点で、気分が一気に盛り上がる。

堀にかけられた橋の欄干には、ナーガ(蛇)、阿修羅、デーヴァなどの像が左右に各54体ずつ立ち並ぶ。
これはヒンドゥー教の世界創造神話「乳海攪拌」をモチーフにしたものだという。

アンコールトムを取り囲む大きな堀では、カヌーツアーも行われているらしい。

高さ23mの南大門には、顔の長さが3mもある四面観世音菩薩が、まるで見張るように彫刻されている。
ひとつひとつの彫刻が非常に美しく、8年前はアンコールワットだけに感動していたため、じっくり見る機会はなかった。

ひとつひとつの彫刻がとても美しい。
8年前はただアンコールワットに来ただけで感動していたので、
そんなにじっくり見ていなかったように思います。

結局、南大門だけで15分が経過してしまった。
まだまだ先は長い。
そろそろ、アンコールトムの内部へ入ることにします。

バイヨン寺院

アンコール・トムの中心にそびえるバイヨン寺院。
12世紀末、チャンパ王国に対する戦勝を記念して、ジャヤヴァルマン7世が建立させたものである。
アンコール・ワットと並んで人気の遺跡で、多くの観光客が訪れている。

遺跡の正面は東向きのため、写真がきれいに撮れる午前中に観光客が集中する。
高さ43mの中央祠堂を中心に三層構造となっており、外回廊を含めた広さは東西160m、南北140mとかなりの規模だ。

入口では、古代インド神話に登場する天女アプサラスのレリーフが出迎えてくれる。
この像は、カンボジアの伝統舞踊アプサラダンスの語源にもなっている。

第1回廊のレリーフも見どころだが、中心部へと進む。
内回廊の柱にはアプサラスのレリーフがいくつも刻まれており、保存状態が良いためか、細かい彫刻部分までしっかり残されている。

階段を上って2階部分に着くと、無数の観音菩薩を模した人面像が出迎えてくれる。
一瞬、誰かに見られているような不思議な気分になる。

デバターと呼ばれる女神の像もあり、この写真のデバターは、きりっとした表情がとてもかっこよかった。

長さ2m近くある観音菩薩を模した人面像は、それぞれ表情が異なり、微妙なリアリティが感じられる。

像の正面に立つと、本当に見られているような錯覚に陥る。
どの表情も微笑んでいるように見えることから、「クメールの微笑み」とも呼ばれている。

2階(第二回廊)部分は、とにかく顔だらけだ。
バイヨン寺院を築いたジャヤヴァルマン7世の信仰心の厚さが、ひしひしと伝わってくる。

観音菩薩に見張られるカップル。
暑さを避けて日陰で休憩しているのだろうが、見られているようで、のんびりできているのか少し気になる。

内回廊から見たバイヨン寺院の塔堂は、第1回廊の外側から見るよりも重厚な雰囲気があり、まるで要塞のようだ。

北側の内回廊には仏像が祀られている。
黄色の袈裟がよいアクセントになっており、写真映えも抜群だ。

仏像の背後には、アプサラスのレリーフがびっしりと刻まれている。
バイヨン寺院は、仏教とヒンドゥー教が混在しているのが特徴だ。

もともとこの寺院は、ジャヤヴァルマン7世の時代に仏教寺院として建立された。しかし、次代の王がヒンドゥー教に改宗したことにより、建物の一部や彫刻にヒンドゥー教の要素が取り入れられた。
そのため、内部には仏像だけでなく、乳海攪拌のモチーフや、阿修羅・デーヴァなどのヒンドゥー教神話の彫刻も見られる。

この混在は、当時の王権や信仰の移り変わりを物語っており、単なる建築物以上に歴史の証人としての重みを感じさせる。
仏像やアプサラスの精緻な彫刻を眺めながら、時代を超えた宗教と文化の交錯を肌で感じられるのが、バイヨン寺院の大きな魅力だろう。

神話に登場するアプサラスは、魅力的で美しい踊り手だったと伝えられている。

第一回廊は高さおよそ10mあり、レリーフは3段に分けて描かれている。
上段は遠景、下段は近景と、立体的に構成されているのが特徴だ。

前回訪れたときは、さらっと流し見した程度でほとんど記憶に残らなかったが、今回はガイドブックを片手に、じっくりとレリーフを眺めて回った。

チャンパ軍との戦いに向かうクメールの行進が見事に描かれている。

チャンパ軍との戦いに向かうクメールの行進が、第一回廊のレリーフに見事に描かれている。
象の上に乗って指揮する者の姿もあり、緊張感と規律が伝わってくる。

チャンパとは、現在のベトナム中部にあった古代王国で、9世紀から15世紀にかけて栄えた。
クメール王朝とは度々衝突し、アンコール時代には戦争や侵攻の記録が残されている。

チャンパ族との戦い。

第一回廊のレリーフは、戦いのシーンだけでなく、人々の日常生活も描かれている。
未完成の部分も見られ、写真上部の中央はまったく手が加えられておらず、左側はうっすらと下書きが残されている。

第1回廊の門からは、第2回廊と塔堂の姿が見える。
第2回廊にもレリーフが描かれているが、比較的保存状態は良くないようだ。

裏側にあたる西側は、柱や石材がそのまま放置されている状態だ。
アンコールトムが再発見された当時も、全体的にこんな様子だったのではないだろうか。

まだ回廊のレリーフを見きれていなかったが、朝から何も食べていなかったため、空腹に耐えきれずドライバーと合流してレストランへ向かった。
バイヨン寺院を見始めてから、すでに1時間30分が経過していた。

遺跡で出会う子供たちと観光のひと工夫

昼食はアンコールワット前に並ぶ露天のレストランでとることにした。
観光客価格で、ドライバーが契約している店のため現地価格よりはかなり高めだ。
それでも、市内へ戻る時間を考えれば効率的だし、ドライバーも無料で食事ができるはずなので、今後も気持ちよく案内してくれるだろうと思った。

遺跡の入り口には、必ずと言っていいほど物売りの子供たちが待ち構えている。
ただ、物を売ることに関してはそれほど熱心ではない。おそらく、物が売れても自分たちには実入りがないからだろう。
そのためか、売れないとわかると「1ダラー」とお金をねだる子もいる。中には単純にお金だけをねだる子もいるが、キリがないので自分はお金は渡さないことにしている。

アンコール遺跡を観光する際、この物売りにどう接するかで、印象や疲労度も大きく変わると思う。
自分はその対策として、キャンディーを用意していった。
ほとんどの子供は、キャンディーをもらうと素直に喜ぶ。おそらく、お金をもらったとしても親に渡すことになるため、子供たちにとってはキャンディーの方が実入りがよいのだろう。
観光客慣れしているようだが、カンボジアの子供たちはまだまだ純粋で可愛らしい。

バイヨンとは異なる運命をたどる寺院、パプーオン

バイヨン寺院のすぐ北側に位置するパプーオンは、ウダヤーディチャヴァルマン2世が11世紀中ごろに建立した寺院だ。
かつてはアンコール・トムができる前の都の中心にあたり、東向きに建立されたことから太陽信仰との関連も指摘されている。
中央祠堂を中心としたピラミッド型の構造をもち、周囲には回廊や池も配置されるなど、建築的にも非常に壮大な寺院である。

パプーオンへ続く200mの参道は、石柱の上に敷石が並べられて造られている。
アンコール遺跡ではあまり見かけない、珍しい「空中参道」だ。

ただ、子供たちは遊んでいた最中のようで、一声かけられただけで済んだ。
鬼ごっこらしき遊びを第1回廊内で走り回っており、世界に誇る遺跡が遊び場になっているのも、贅沢な光景だと感じた。

鬼ごっこらしき遊びの最中だったようで、第1回廊内を走り回っていた。
世界にほこる遺跡が遊び場というのも贅沢な話だ。

パプーオンは1950年ごろから修復作業が始まったが、カンボジア内戦などの影響もあり、再開された現在でも当初は中に入ることはできなかった。
※2011年7月に修復作業が完了し、現在では入場できるようになっている。

第1回廊内より内側には盛り土がされており、その上に寺院が建てられている。
パプーオンは想像していたよりも大きく、東西120m、南北100mもあり、バイヨンに勝るとも劣らない規模を誇る。

寺院の裏側に回ると、長さ70mの巨大な涅槃仏像が寺院に組み込まれているという。
実際には寺院を後から一部壊して作られたとされ、もともとは涅槃仏像の位置に大きな塔があり、バイヨンをしのぐ高さ50mを誇っていたとされる。

これは、15世紀にヒンドゥー教寺院から仏教寺院へ改修された際に作られたもので、バイヨン寺院とは逆の運命をたどっている。
同じアンコールトムの中でも、こうも異なる歴史や変遷をたどる寺院があるのかと、改めて感慨深く思った。

ピミアナカス寺院

パプーオン寺院からそのまま北へ進むと、かつての王宮の敷地に入ることができる。
その内部にあるのが、天上の宮殿とも呼ばれるピミアナカス寺院だ。

三層構造のピラミッド型を基礎とし、その上に祠堂が設けられている。
王が宗教儀式や国家的行事を行うために建てられた寺院で、中央の祠堂にはかつて金箔や貴石で飾られた装飾が施されていたとされる。
規模はパプーオンほど大きくはないものの、ピラミッド型の堂々とした構造と、王宮の中心という位置から、その威厳は十分に感じられる。

階段はもろい石で作られており、かなり急な斜度になっている。
両脇にはシンハの像が立ち並び、威厳ある雰囲気を演出している。

ピミアナカス寺院には、興味深い伝説が残されている。
寺院の頂上には9つの頭を持つ蛇神(ナーガ)が宿ると信じられ、その蛇神は夜になると女性の姿になるとも言われていた。王は毎晩その女性と一夜を過ごすことが、国家の安寧に欠かせないと考えられていたという。
歴史事実として確認されているわけではないが、当時の信仰や王権観を物語る伝承として、今も人々に語り継がれている。

象のテラス

ピミアナカス寺院から東へ進むと、王宮の入口にあたる象のテラスに出る。目の前には広大な王宮広場が広がり、開放感あふれる空間だ。

象のテラスは高さ3m、南北に約300mも伸びる長大な石の基壇で、壁面には象のレリーフがずらりと並ぶ。かつてここでは王族の閲兵や公式儀式が行われ、王の威厳を示す舞台として使われたという。

広場とテラスを眺めると、当時の王宮の壮大さや、儀式に臨む王族と群臣たちの緊張感が、まるで目の前に再現されるような気がする。

象のテラスを支えるように並ぶのは、ガジャシンハの石像だ。
ガジャシンハとは、ライオンとガルーダが一体化した神獣で、王の権威を象徴するとされる。
その力強い姿がテラスを支えるかのように並ぶ光景は、王宮の威厳と神聖さをより強く印象づける。

もちろん、象のテラスの名前の由来にもなっている象のレリーフも並んでいる。
しかし、風化が激しく、よく見ると一部には銃で撃たれたような穴があいている箇所もある。
おそらくこれは、カンボジア内戦の影響だろうか。
歴史の長さと同時に、この国が経験してきた悲しい出来事も、こうして遺跡の石に刻まれているのだと実感させられる。

プラサット・スゥル・プラット

王宮前の広場には、ラテライトで造られた小さな祠堂、プラサット・スゥル・プラットが建っている。
ラテライトとは鉄分を多く含む赤い石材で、東南アジアの遺跡建築でよく使われた素材だ。

この祠堂は歴史的価値が高く、日本政府によって調査・修復が行われたことでも知られている。
小ぶりながらも精巧な造りで、当時の王宮における宗教儀礼の一端を感じさせる建造物だ。

ライ王のテラス

象のテラスの北側にあるのが、もうひとつのテラス、ライ王のテラスだ。
高さは6mと象のテラスの約2倍で、威圧感がある。

テラスには阿修羅や神々のレリーフが刻まれ、その繊細さと美しさは圧倒的だ。
外壁の内側にはさらにもうひとつ外壁があり、通路状になっている。その壁面の彫刻は保存状態が非常に良く、まるで当時のままの輝きを保っている。これは、アンコール遺跡が発見された当時、土に埋もれていたことで風化を免れたためだという。

ライ王のテラスは12世紀末に一度崩壊し、修復された経緯があるため、ブロックごとに石質や彫りの細かさが異なっている。

保存状態の良いデバターの表情は豊かで、微笑に思わず見惚れてしまうほどだ。。

あまりにもレリーフが美しく残っているため、思わずじっくり見入ってしまった。
ライ王のテラス自体は大きくはないが、その精巧な彫刻のおかげで、十分に見ごたえのある空間になっている。

プリア・パリライ寺院

プリア・パリライ寺院は、12世紀末ごろにジャヤヴァルマン7世によって建立された小規模ながら特徴的な寺院だ。
遺跡群は木々に囲まれ、神秘的な雰囲気が漂う。

中央祠堂は樹木に侵食され、土台も大きく削られている様子が見て取れる。

これでアンコールトムの主要な遺跡はほぼ回り終えた。じっくり時間をかけたため、3時間ほどかかった。もっと遺跡好きな人なら、さらに長く滞在することになりそうだ。

日中の暑さを考えれば、普通は宿に戻って休憩するところだが、今回は休まずそのままアンコールワットへ向かう。ぶっ通しでの遺跡巡りだ。

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