vol.2 戦後から発展へ。ホーチミンシティー|2010 東南アジア周遊

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デタム通り(ホーチミン)

すがすがしい朝だった。
昨夜まで賑わっていた通りは静まり返り、朝の街には落ち着いた空気が流れている。欧米人の姿はほとんど見かけない。日曜日ということもあってか、バイクの往来も少なく、思いのほか静かなホーチミンの朝だった。

朝食はフォーボータイ

フォーボー(フォングーラオ通り)

朝食はフォーボータイ(phở bò tái)。
具が生の薄切り牛肉のフォーを頼んだのだが、残念ながら火が入りすぎていた。ライムを搾り、香草や野菜をちぎって加える。甘みのあるスープに、ライムの酸味がほどよく効いて、後味はさっぱりする。

日本で食べるフォーとは違い、麺はやわらかく、のどごしがとてもいい。米の麺なので、日本人にも親しみやすい料理だ。毎食食べ続けても、きっと飽きないだろう。

フォーのあとに続く「ボー(bo)」は牛肉の意味。
鶏肉は「ガー(ga)」なので、鶏のフォーはフォーガー(phở gà)になる。今回の「タイ(tái)」は生焼け、つまりレアの意味だったのだが…。

ホーチミン博物館で

荷物をまとめて宿をチェックアウトし、9時に再びHさんと合流して観光へ向かう。観光といっても、特別に行きたい場所があるわけではない。ただ、もう一度ベトナム戦争に関する博物館を見たいと伝えた。返事は少し曖昧だったが、「分かった」と言うので任せることにした。

ホーチミン記念館

連れて行かれた先は、どう見てもホーチミン博物館だった。ガイドブックも地図も持たずに来ているため、場所を説明することもできない。とはいえ、ここは初めての訪問だし、ベトナムの英雄ホーチミンの博物館を断るのは失礼かもしれない。

ホーチミンは、おそらくベトナムで最も有名で、そして最も愛されてきた人物だ。フランス植民地支配からの独立を勝ち取り、ベトナム戦争ではアメリカと戦い、国を導いた存在として、今も絶大な人気を誇っている。

せっかくなので、中に入ることにした。

入場料は外国人が1万ドン(約50円)、ベトナム人は2千ドン(約10円)。
5倍の差がある。先に支払ってくれたHさんが「日本人、高いね」と皮肉を言う。だが、これは日本人の問題ではないはずだ。

館内には当時の写真や資料が展示され、日本との関わりも紹介されていた。
思わず「日本の展示もある」と反応しそうになったが、内容は決して喜べるものではなかった。

ベトナム戦争の印象が強いためあまり知られていないが、第二次世界大戦中、日本はフランス領インドシナだったベトナムに進駐し、結果的に植民地化している。当時はベトナム帝国という形で独立させてはいるが、傀儡政権でもあったことは明白であり、あまり歓迎される行為ではなかっただろう。

日本軍の侵攻を展示した部屋に、ベトナム人のツアー客が入ってきた。マイクを使って説明が始まる。Hさんが「日本が攻めてきた、と説明しているよ」と教えてくれた。その瞬間、居ても立ってもいられず、部屋を出てしまった。

その話を聞いたベトナム人は、日本をどう思うのだろうか。これまで、日本人としてベトナムを訪れることに、特に抵抗を感じたことはなかった。むしろアメリカ人観光客に対して、「よく来られるな」と思ったことすらある。しかし遠い過去とはいえ、知らなかった自分が少し恥ずかしくなった。

日本人はお金を持っているため、東南アジアでは概ね歓迎される。だが、すべての人がそう思っているわけではない。その事実を知っておく必要があると感じた。

第二次大戦前、日本はアジア諸国に侵略していた。もしアジアを旅するなら、自分たちの国が犯してきた過ちを振り返ることも、旅行者としての義務ではないかと思った。

サイゴン川

2階のテラスからは、サイゴン川沿いに広がるホーチミンの街が一望できる。人口700万人を超えるベトナム最大の商業都市で、現在はホーチミン・シティーと呼ばれている。かつてはサイゴンという名前だったが、解放前に亡くなったホーチミンの功績を称え、彼の名が街に付けられた。

Hさんが姉に電話をしてくれ、ようやく戦争証跡博物館の場所が分かったみたいなので、再び移動する。

戦争証跡博物館

ベトナム戦争に関する写真や記録を展示する戦争証跡博物館。
戦争が終わったのは35年前。決して遠い昔の話ではない。自分はすでに生まれていた。

2002年以来、8年ぶりの再訪だった。
前回は終戦から27年しか経っていなかったと考えると、あらためて時の近さに驚かされる。

戦争証跡博物館(ホーチミン)

展示写真を前に、今回も言葉を失った。
戦闘の惨状だけでなく、非戦闘員への虐待など、訴えかけてくる力があまりにも強い。館内は自然と無言になる。

この戦争で、200万人もの人々が命を落としました。
ベトナム戦争は南北ベトナムの内戦として語られますが、実際には北ベトナムをソ連や中国といった共産圏が支援し、南をアメリカ軍が支援するという、大国同士の思惑が交錯した戦争でした。互いに代理となって攻撃し合った、国際政治の延長線上にあった内戦だったと言えます。

最終的には、アメリカ軍が南部解放戦線に敗れる形で終結しました。
しかし、戦争はそれで終わったわけではありません。アメリカによって散布された枯葉剤の影響は今も残り、奇形をもって生まれてくる人々が、現在も苦しみ続けています。

以前、カントーでHさんに戦争孤児院へ連れて行ってもらい、子どもたちと過ごす時間を作ってもらったことがありました。
彼らは戦後に生まれた世代ですが、枯葉剤の影響が残っており、その現実を前に、何とも言えない気持ちになったことを今でも覚えています。

戦争証跡博物館(ホーチミン)
想像もできないような悲惨な写真が並んでいる。

人間が、まるでゴミのように扱われている。
そんな言葉しか浮かばないほど、悲惨な写真が並んでいました。彼女は、ここを訪れるのは初めてだと言っていました。

「アメリカは悪い国でしょ?」
そう聞いてみると、「昔のことだから」と、さらっと返ってきました。

ところが、すべての写真や資料を見終えるころには、
「やっぱり、アメリカは悪い国です……」
そう口にしていました。

「昔のことだから」で片づけられるものではないはずです。
第三国の日本人である私ですら、この場所に立つと、アメリカに対して憎しみに近い感情が湧いてきます。

しかし、アメリカを支援していた国のひとつに、日本も含まれていました。
決して無縁の話ではありません。今、話題になっている普天間基地からも、ベトナム戦争に向けて海兵隊が飛び立っていた事実があります。

もし、そのことを彼女に伝えていたら。
もし、知っていたとしたら、日本という国をどう見ていただろうか。そんなことを考えてしまいました。

前回訪れたときとは、感じ方が違っていました。
あの時は、「戦争のない時代に生まれて幸せだ」と、単純に思っていただけでした。今回は、言葉にできない、もやもやとした感情が残りました。

戦争で得られるものは、何ひとつありません。
残るのは、被災した人々の苦しみと憎しみだけだと思います。

今もなお、戦争や内戦が続いている国や地域があります。
その多くは、大きな力同士の利害衝突から生まれ、犠牲になるのは、いつも力の弱い人々です。

日本は、侵略した国々に対する謝罪の気持ちを、忘れてはいけないと思います。
そして、世界が生み出した最悪の兵器、核爆弾の唯一の被爆国でもあります。

何もしていない自分が言うべきことではないのかもしれません。
それでも、日本という国が世界に対してすべきこと、訴えていくべきことは、まだまだあるような気がしています。

戦争証跡博物館(ホーチミン)

戦争証跡博物館は、昼の12時でいったん閉館されます。
10時40分頃に入館し、十分に時間はあると思っていましたが、気がつけば最後は追い出されるようにして外へ出ていました。

結局は、飯とビールがうまくて最高でした

ブンボーフエ

ベトナム中部の都市、フエの名物料理「ブンボーフエ(Bún Bò Huế)」。
エアコンの効いたレストランで食べたこともあり、少し高めの29,000ドン(約145円)だった。

フォーの平たい麺とは違い、ブンボーフエは丸く太い麺が特徴だ。
スープは見た目どおりピリ辛だが、後味にはレモングラスの酸味が残る。具には牛肉と豚足が入り、なかなかのボリューム。そこに香草などの野菜を加えて食べる。

辛味、酸味、そしてダシの旨みが重なり合い、スープは奥深い味わいになる。
一言では言い表せないが、不思議と嫌いではない味だった。

さらに、チャオトムという海老のすり身をサトウキビに巻いて焼いた料理も食べた。
これはライスペーパーに野菜と一緒に包んで食べる。ライスペーパーにはほのかな塩味があり、海老の旨み、サトウキビの甘みが合わさり、さまざまな食感を楽しめる一品だった。

ビールが一番

我慢できず、昼食時にビールを飲んでしまった。
何気なく持ってきた扇子を見ると、そこにはこんな言葉が書かれていた。

ビールは一番。
仕事は二番。

思わず、納得してしまう。
さっきまで戦争について一丁前なことを考えていたが、すっかりダメな日本人に戻っていた。

ここで、この旅で初めて雨が降った。
熱帯特有のスコールのような雨で、食べ終わる頃にはすっかり上がっていた。誰も傘を持っていない理由が、よく分かる。

発展するベトナムと旅人の願い

前日に、新しい大きなショッピングセンターがオープンしたらしく、Hさんに誘われて行ってみた。
だが、売っているものはどれも高級で、日本と変わらないか、それ以上の価格帯だ。現地の物価を考えると、相当高い。それでもオープン2日目とあって賑わってはいたが、実際に買い物をしている人は少なかった。

ショッピングセンターというより、高級デパートといった印象で、正直あまり面白くはなかった。
あえてベトナムに来てまで、というのが率直な感想。ただ、それだけこの国が経済的に豊かになってきている証でもあるのだろう。

アイスクリームを食べて、席に座っていると猛烈な眠気が襲ってきました。
このままでは、ほんとに眠ってしまいそうだったので、
サイゴン川を見たいということで、再び移動。
まだ時間がありそうだったので、渡船に乗って対岸へいってみました。

川のこちら側は大都市なのに、渡った途端、景色は一変する。
一気に田舎になり、三階以上の建物すら見当たらない。日本であれば、すぐに橋を架けて開発してしまいそうな場所だが、簡単に橋を架けられないベトナムでは、川がインフラを分断する存在なのだと実感した。

それでも、開発されていないこのあたりの風景は、
ベトナムの田舎と大きく変わるものではなく、どこか懐かしさを感じさせる景色だった。

サイゴン川

しかし、そのまま道を走っていくと、大きな橋がすでに架けられていた。
この橋は市の中心部へとつながっており、いずれはこの対岸一帯も開発されていくのでしょう。

サイゴン川の脇では、高層マンションの建設が進んでいた。
日本のような、無機質な都市にだけはなってほしくない。そんな思いが、ふと頭をよぎる。

再び市街地へ戻り、サイゴン川沿いの公園でしばらく時間をつぶした。
日曜日の夕方ということもあり、公園には多くのベトナム人が集まり、川を眺めながら思い思いに過ごしている。バイクのエンジン音やクラクションの音が絶えないホーチミンの街中でも、ここでは時間が少し緩やかに流れているように感じられて居心地が良かった。

生春巻きに似た小さな春巻きを屋台で買い、公園で食べてみると、これがまた美味しい。
味噌ダレのような少しピリ辛のたれに、ライスペーパーのほどよい硬さ。自分好みの食感で、思わずビールが欲しくなる味でした。

Hen gap lai!

宿へ戻って荷物を受け取り、空港まで送ってもらいます。
国際線ターミナルはバイクの乗り入れが禁止されているため、そこから10分ほど歩かなければなりません。

とても不思議な気分でした。
これから旅が続くはずなのに、すでに日本へ帰るような感覚がしていたのです。

前日に5千円分を両替しましたが、20万ドン(約1,000円)ほど使い切れずに残っていました。
再両替するとレートが悪いため、ガソリン代の足しにとHさんに渡そうとすると、

Hさん:「次の日に使ってください」

私:「いやいや、明日はもう違う国だから使えないよ」

私:「……それって、次に来たとき、っていう意味?」

Hさん:「はい、そうです」

なんとなく、またベトナムにゆっくり来たいとは思っていました。
あらためてそう言われると、妙に現実味が増します。ベトナムはこれで4回目。5回目があっても、おかしくはありません。結局、ベトナムドンはそのままポケットにしまいました。

出発の1時間半前になり、Hさんと別れてチェックインカウンターへ向かいます。

Hen gap lai!

数少ない覚えているベトナム語のひとつで、「また会いましょう」という意味です。
なんとなく、またベトナムを訪れる気がしていました。

定刻より30分ほど遅れて、
AirAsia QZ7737便は、インドネシアの首都ジャカルタへ向けて飛び立ちました。

AirAsia QZ7737
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