2024 奄美2島|vol.9 鹿児島空港経由のそらの旅

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最終日の朝散歩。

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昨日、日の出を見に来た堤防沿いの道路。宿から10分ほどでしたので歩いてきました。地元の人がウォーキングしている姿もちらほら。

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05時40分。この時期にしては日の出が遅く感じますね。

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朝日に照らされた雲。日曜日らしく走る車も少ない。

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和泊町の中心部を少し歩いてみます。バイクだとあっという間に過ぎてしまうので、あまり感じなかったがけど、思った以上に町が廃れてる感じがあります。

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一等地だと思われる商店街の角地の建物が両方とも廃墟になっています。

調べてみると沖永良部島の人口は、昭和30年(1955年)には26,636人でしたが、年々減っていき令和2年には11,996人と半減以下になっていました。これは奄美群島全体で同じような状況になっているようで、人口現象とともに高齢化もかなり高いようです。日本全体では平成20年(2008年)がピークだったことを考えると、かなり早くから衰退が始まっていたようです。島の基幹産業が第一次産業だったことを考えると仕方がないことなのでしょう。

西郷隆盛の流刑地

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商店街を抜けて水路をわたったところにある南洲神社。沖永良部島に流刑された西郷隆盛を祀られて、明治34年に建立された神社です。

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神社の中央に西郷隆盛の像があります。これは没後100年に建てられたもので、上野公園の西郷隆盛像と同じく愛犬ツンを連れ添っています。

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西郷南洲記念館の横に、西郷隆盛が1年6ヶ月間の牢獄生活を過ごした場所に、格子の牢屋が再現されています。

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知っている西郷隆盛のがっしりした姿と比べると、かなり痩せています。

西郷隆盛はこの牢屋の中から、こどもたちに学問を教え、やがてそのこどもたちが島の要職に就き、西郷隆盛を敬う精神が沖永良部島全体に広がっていたそうです。流刑されてきた人が、その地で尊敬される人になって帰っていく。そんな話はほかで聞いたことはありません。

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昨日ドラッグストアで購入したパンで朝食。今日の昼は、鹿児島空港で乗り継ぎで時間があるので、美味しいもの食べようと節約。

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とても清掃が行き届いて綺麗なので、快適に過ごせました。施設や電化製品のヘタリとかもなし。無人運営できているのからこの宿泊代でこのクオリティなのだろう。

和泊→おきのえらぶ空港 空港バス

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和泊のバスターミナル。宿から徒歩1分ほど。味わい深い建物で中に待合室があります。ちなみに裏手のディスカウント山口というスーパーは現役で営業していました。

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おんぼろなバスが来ると想像していたけど、新車のような新しさで乗り心地抜群。一般的な路線バスより一回り小さいコンパクトサイズです。この日、自分が乗った区間の乗客は6名で充分であったが、うち3名は学生さんで和泊中学で下車していった。日曜日だっから部活動なのだろう。もしこれが平日だったら乗客は今より多かったのだろう。

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沖永良部島は海のイメージだけであったが実際には緑も多く、北海道と重なる光景が多かった。高い建物がほとんどない沖永良部島では空がとても広く感じられ、この解放感はとても気持ち良かった。

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定刻通り08時48分、和泊から20分で到着。運賃は和泊から430円。空港までの利用客は自分含めて2名でした。

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空港到着からわずか30分後に出発するので、手荷物預けて慌ただしく…と思ったけど空港がコンパクトすぎて余裕でした。

トカラ列島を眺めて鹿児島空港へ

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ターミナルからは徒歩移動で乗り込みます。ATR42という名前の通り42人乗りの小さな機材です。

JAL3800便 沖永良部09:20→鹿児島10:40

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プロペラ機に乗るの久々です。前に乗ったのいつだろう?プロペラ機にこれだけ長い時間乗ることはおそらく初めてだと思います。

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6番A席、進行方向左側の窓からの景色。翼は窓枠より上にあるので全席景色は見えるけど、思ったよりもプロペラが邪魔になった。滑走を南西側(沖永良部島内陸側)に向けて離陸。

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大きく左に旋回して、鹿児島空港目指して北側に進路を変えます。地図で見ているよりも、沖永良部島は長細く見えます。

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沖永良部島北部。空港近くにビーチあったけど気づかなかった。

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徳之島は空港のある西側をかすめていきました。右側の席だったら徳之島が良く見えたかもしれません。

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客室乗務員から沖縄本島から鹿児島間の地図が配られました。赤い線は就航地同士を結んだもので、実際に飛行するルートとは違います。しかしこの地図の沖縄本島以外はぜんぶ鹿児島県です。ほんと広い。

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先に結論を話すと北上する場合、奄美大島、屋久島など大きな島は右側席から見えていたようです。いづれも関西と沖縄を結ぶ飛行ルートからは見えるものなので、結果的に見たのとのないトカラ列島の島が見えたので左で正解でした。ちなみに左を選んだ理由は、太陽側を避けて逆光にならないためです。滅多に乗らない区間の場合、今後はフライトレーダーで確認しておくべきだったと思いました。それほど飛行機から見る景色が好きなのです。

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悪石島 周囲12.64 km人口89人。2009年の日食で日本国内で一番長い時間見れると話題になった島。名前の由来は、島のあちこちから石が落石してくるとか、平家の落人が追手から逃げるために怖そうな名前をつけたとか。

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諏訪之瀬島 周囲27.15 km、人口80人。島の中央にある御岳は、活火山で現在でも噴煙をあげているそうですが、上空からだと雲と煙の区別ができません。

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同じく諏訪之瀬島を拡大したもの。

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中之島 周囲31.80 km、人口130人。トカラ列島で最も面積が広く、住民の数も最大。島の北側にそびえる979mの御岳は、トカラ列島の最高峰でトカラ富士とも呼ばれています。活火山ですが、火山活動は比較的穏やかで登山することが可能だとのこと。

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口之島 周囲:20.38 km、人口103人。トカラ列島最北端の島。島の東部(写真では下側)にある燃岳は現在も蒸気が吹き上げる活火山。良く見ると島の下側の海が変色しています。火山からの熱水やガスの成分の影響です。

第二次世界大戦後、口之島より南側がアメリカの統治下となりました。統治されてた期間は、トカラ列島では昭和27年までの8年間、奄美群島では昭和28年までの9年間です。

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口永良部島。ここからは屋久島や種子島に属する大隅諸島。写真に写っているのは西側部分。近年何度か噴火した火山のある東部が見えなかったのが残念。

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トカラ列島の硫黄島。太平洋戦争の激戦で知られる硫黄島とは別の島で、薩摩硫黄島とも呼ばれている。
地球最大規模の噴火を引き起こした喜界カルデラの一部で、現在も薩摩硫黄岳は活発に噴煙を上げています。

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口之島と同様に沿岸部分の海の色が変色していますが、こちらのほうが色の変化がわかりやすい。コバルトブルーにみえますが、実際には乳白色っぽいのだと思います。温泉と原理は似ていますね。

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左に突き出た部分が開聞岳。綺麗な円錐の山で、別名薩摩富士とも呼ばれていますが、海からの湿った空気で雲が発生していますね。ようやく九州本土。1時間乗っててまだ同じ県って、北海道より広い?

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桜島。
やはり桜島も雲がかかっている。錦江湾の桜島より北側は、姶良カルデラという火山が噴火してマグマが噴き出た後に陥没したカルデラ部分。現在の桜島噴火の約100万倍規模の噴火によってできたそうです。

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霧島市国分エリア。眼下に見えるのはソニーの工場。

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小型機だから着陸するときは機体が前屈みになっているのがわかりやすい。

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乗客が降りるとすでに預けた荷物が積み出されている。

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一階にある桜島を描いたステンドグラス。目につくのでこれを見ると鹿児島空港に着たなあと感じる。

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鹿児島空港で黒豚とんかつ

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お昼はトンカツを食べると決めていたのですが、目当てのお店はなかったので、賑わっていたこのお店に入店。

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黒豚かつカレーも魅力的でしたが、純粋に黒豚を味わうならシンプルに食べるのが一番かな。

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黒豚ロースかつセット1,980円

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黒豚でこの厚みなら安く感じますね。あまり脂がのってないかと思いきや、しっとりジューシーで美味しかった。最初3切れは塩で、後はソースで頂きました。あとひさびさのサラダも美味しかった。

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大きな屋久島の縄文杉の写真。興味がないわけではないが、なかなか足が向かない屋久島。行くことあるのだろうか。

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鹿児島空港のロケーションも良いですね。雲がかかってますが、霧島連山を望むことができます。

鹿児島から大阪へ

JAL2406便 鹿児島12:40→大阪/伊丹13:50

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昼便だったせいか空席多数でした。関西まではANA、スカイマーク、Peachと競合していますが、さらに新幹線が直通してますからね。都心部から空港にいく時間やセキュリティチェックの煩わしさを考えると新幹線もありかと思いますね。鹿児島から新大阪まで最速のみずほで3時50分と4時間切ってます。

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JAL系のデザインってほんとシンプル。

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沸き立つ雲の間を縫って高度をあげていきます。この雲の感じ好きだなあ。

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宮崎市南にある景勝地、日南海岸。上にポツンと飛び出た小島は青島。

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あっという間に宮崎市の市街地。宮崎市にも空港はありますが、鹿児島空港も比較的宮崎県に近く、鹿児島空港から宮崎市までは1時間半ほどの距離です。

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高知県西部の足摺岬。地下でマグマが冷えかたまってできた花崗岩が地震で隆起してできた地形。最寄りの高知空港からも約3時間かかるので、離島を除くと東京から最も遠い場所とも呼ばれています。

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高知県東部の室戸岬。地震のたびに隆起してできた地形。1946年の昭和南海地震では1.2m隆起したとのこと。100~150年周期で起こるとされる南海トラフを震源とする大地震です。

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和歌山市上空。さすが徳川御三家のひとつだっただけあって、市街地は広いですね。中央の緑部分が和歌山城。江戸後期には国内で8番目の大きな街だったそうです。ピークの昭和60年には40万人を超えていて、その頃自分の住んでいる大津市は23万人だったからかなり水を開けられていました。現在は人口減少が大きく35万人、反対に大津市は34万人とかなり詰めてきました。

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関西国際空港。沖合い5キロにある埋め立てて作られた海上空港。伊丹空港の騒音問題解決策として作られたから仕方ないけど、なんでこんなに大阪市から遠くに作ったのと思う場所にあります。今年9月で1994年の開港から30年を迎えます。

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中央に流れるのは大和川。手前、奈良県北部から大阪湾に向かって流れています。右中央あたりに八尾空港がありますが、定期便の就航はなく小型機やヘリコプターのチャーター機の運用が主となっています。

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大阪市南部。あまり高いビルがないので、左中央にあるのがあべのハルカスが目立ちます。高さは300mあり、昨年(2023年)11月まで日本国内で一番高いビルでした。現在は麻布台ヒルズ森JPタワー(330m)に抜かれています。

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大阪城と大川。大川は過去に淀川の本流だった川です。大阪の街はこの大川の周辺を中心に栄えてきました。

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淀川と梅田のビル街。現在の淀川下流域は明治時代に採掘された人口河川です。大昔はこのあたりは海の中で、淀川から運ばれてきた堆積物によってできた土地。明治初期はこのあたりはまだ湿地帯、その後人々が埋め立て田園地帯となりました。大阪駅が開業したのは明治7年(1874年)です。

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伊丹空港には滑走路が2本ありますが、小型機なのでターミナルに近い短い滑走路に着陸します。

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旅が終わりました。この日の大阪の最高気温は34.8℃で、沖永良部島よりも暑い。梅雨はどこへ行ったのか?

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預けてた手荷物についていたタグ。七夕フライトでした。

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嬉しい手書きのメッセージ。さすがに沖永良部空港限定なのかな?

旅を振り返ってみて、沖永良部島の地形がダイナミックでとても良かった。変化にとんだ海岸線、断崖絶壁、鍾乳洞と飽きることなかった。結局泳がずに終わったけど、原付きでのツーリングはとても気持ち良かった。与論島は昨年いったばかりというのもあるけど、ビーチは綺麗だけどそれだけかな?実際にスノーケル出来る場所も少ないしね。いづれにしても、旅行中、天気が最高でした。梅雨明けの7月初旬はいつも天候が安定しているので、来年も南へいくならこの時期に出かけたい。

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