夜行バスは想像以上に疲れた。
カーブの多い山道を下っていく。途中に深夜なのに2ヶ所のバス乗降があり、その場所は標高が低くて、高温多湿な空気が一緒に入ってくる。そしてまたカーブの多い山道を登っていき、車内は冷えてくる。夜行バスはもともとぐっすり寝れる体質ではないので覚悟はしていたが、寒暖差とカーブの多さは想定外だった。
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オアハカのADOバスターミナルは街の北側にあり、ダウンタウンへ20分ほど。外はすっかり明るいので、歩いていくことにした。
昨日、ホステルドットコムで予約して支払いを済ませていたが、ホテルの鍵のデポジット50ペソ(400円)がいるらしい。あいにく小額紙幣を持ち合わせていなかったが、社員が来る前なのでお釣りもないらしいが、デポジットがないとキーは渡せないらしい。アルバイトに多めにお金を渡すのは不安だったが、周囲の売店でお金崩すのも申し訳ないので、200ペソ(1,600円)紙幣を渡して、念のために名前と金額を書いたメモを貰っておいた。
まだ午前中だったが、チェックインさせてもらえたのはありがたかった。ドミトリールームは一番乗りで、前日からの宿泊者はいなあいらしい。選び放題だったが、日本人は端っこが好きということなので、あえて真ん中に陣取らせてもらった。
それより、あきらかに体調が悪くなっていく予感がする。
風邪のひき始めってなんとなく自分で分かりますよね?
もともと昨日の午後に少し体調が悪い気がした後に、夜間のバス移動で身体が悲鳴をあげたらしい。
でも、しばらくは大丈夫そうな気がしたので、モンテ・アルバン遺跡観光へ行ってしまうことにした。
そのあとぶっ倒れて、寝倒せばよくなるだろう。どっちみち宿にいても、こんな時間から寝れる気がしない。
モンテ・アルバン行きのバスがでているエリアにいくと、
チケットを扱う旅行会社はすぐに見つかった。
さっそくその場で申し込みそのままバスを待ち乗車した。
時間が中途半端だったせいか、乗客は自分ひとりだった。
山道を登り、約30分ほどで遺跡の入り口に到着。
この時モンテ・アルバン遺跡が山の上にあることを初めて知った。
モンテアルバン遺跡
大きな菩提樹の木が出迎えてくれた。
まずは一番高さのある場所から遺跡を眺めてみたが、想像していたより広い。
紀元前500年頃サポテコ人が山を削って平らにして作った祭礼場で、
最盛期の500~750年頃には約25,000人が住んでいたそうです。
その後サポテコ人は別の町をつくり850年には放棄されていたそうですが、
ここが放棄された理由は分かっていないそうです。
ひさびさにワクワクした。
マチュピチュ遺跡とはまた違ったタイプの天空都市といってもいいと思う。
近くにオアハカの街があるにも関わらず、高台にあるため人工物がほとんど見えない。
PATIO HUNDIDO 北の大基壇内にくぼんだ場所がある。
数段低くなっていた。
右上の高台が最初に遺跡を眺めた場所。
北の大基壇手前にある階段。
遺跡の背後から湧きたつ入道雲、まさに天空の都市。
この柱は日時計の役目をしていたようですね。
①が冬至、③が夏至。
躍る人々のピラミッドには、約300枚のレリーフがあったそうです。
実際には人が躍っているのではなく、生贄や捕虜の拷問や死体を意味していて、
これによって権力が軍事力を誇示していたとのこと。
このレリーフはレプリカ。
遺跡の中心にある天文台。
太陽や月を観測して、農作業の時期などに活用していたらしい。
手前の天文台だけが違う方向に建っているのが良くわかる。
ここの広場だけで南北300m、東西120mほどある。
南の大基壇前にある階段を登ってきました。
遮るものがないから日差しは強いけど、そこまで暑くはない。
オアハカの標高は1500m、モンテアルバン遺跡の高さはさらに400mほど高いから涼しいのだと思う。
モンテアルバン遺跡の大半は、モンテアルバンⅢa期と呼ばれる後半に建てられたもの。
その時期はティオティワカンとの交流も盛んだったことから、
ティオティワカンを意識したタルー・タブレロ様式で建造物が作られている。
さすがに体力削られてきた感がありましたが、
でもここからの眺めが気持ちよすぎて、座っているだけで幸せな気分になれます。
ひさしぶりの遺跡は良かったですね。
思い返せば最後に遺跡を見たのはチェチェンイッツァ遺跡で2週間前か…
色んな場所にいってたので、もっと前のように感じる。
モンテアルバンの良さは、ロケーションの良さ、遺跡の状態が良いことに加えて、
観光客が少ないのがとても良いですね。
遺跡内にはトイレやカフェもなく不便に感じますが、
代わりに売店や物売りもいないので、とてものんびりできます。
天文台の北、広場の中央にある大神殿。
巨大な階段は何に使われたのでしょうか。
広場内で行われた祭事を見物するのに椅子代わりにしてたのかな…
ということは、そもそも階段じゃないんですね。
球戯場。ただの遊び場ではなく、豊作を願う神事の一環として行われていたようです。
マヤ遺跡をほぼ同じ形をしているが、球を入れるための輪が見つかっていないそうです。
この場合、やはり階段ではなく観衆の椅子として利用してたわけですね。
オアハカの町並みを見下ろせます。
標高1500mの盆地だから、だいたいネパールのカトマンズと同じぐらい。
日本だと盆地じゃないけど上高地ぐらいの標高ですね。
空気はカラッとしているので、木陰に入れば涼しい。
最後に、バスの出発まで30分ほど余裕があったので、併設の博物館へ。
入館料は遺跡の入場料に含まれています。
出土品の土偶がとてもユニークで、正直はまりました。
サポテカ人はこのような面白いものを作れるのか…
遺跡の前に置かれていたものに比べて、精巧に作られています。
博物館の展示物は多くなく、大半がオアハカ市内やメキシコシティーの博物館に展示されているそうです。
1時間毎のバスの出発時間に戻ることができました。
朝から何も食べていないし、そもそも昨日からまともな食事をとっていない。
モンテアルバン遺跡にいるときは大丈夫でしたが、
バスでオアハカ市内に戻ってきたら、熱っぽくなってきて少しぼーっとしてきました。
寝る前に発熱させるために体にエネルギーをとらなければと市場内の食堂へ。
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Chiles Rellenos 40ペソ(200円)
メキシコの名物料理、唐辛子の肉詰め・チーズ入りオムレツ。
さすがにこの状態ではビールを飲むことはできなかった。
意識朦朧としていて、ほとんど味は覚えていないが、
オムレツがわりと辛くて食べるのが大変で汗だくになっていました。
本来であれば中にチーズが入っているはずなのですが、辛くてわからなかった。
食堂の上に赤い生地のテントがはってあったので、全体的に赤みがかった写真になってます。
ここからあまり覚えていないのですが、
シャワーを浴びて、汗をかけるようにタオルケットを着込んで寝ました。
おそらく15時過ぎには寝たのかと思います。
ドミトリーの部屋がパティオに面しているだけで、薄暗いのも功を奏しました。
中学生以降、風邪で学校を休んだことはありません。
風邪をひいたとしても一晩寝ればなおってきたし、熱っぽくてもそのまま部活行ってたし。
社会人になってからも、風邪で休んだことはないし、多少悪くても休まなかった。
貴重な有給休暇を旅行以外に使うなんてもったいない。
なんとなく危ない気がすれば夕方には寝て、翌朝には治っていました。
今回も日中は行動して、早めに寝れば治る自身がありました。
夜になって6人組のグループがチェックインしてきたので、
真ん中のベッドを使っていて申し訳ないと思いつつも、
少し目が覚めただけで、起き上がることはできずそのまま眠りにつきました。