6日目 バガン遺跡|ミャンマー2006

アーナンダ寺院(バガン遺跡)
2006ミャンマー

残りの日程からして、 そろそろヤンゴンに戻らなければならない。
移動手段は3つあったが、 列車はあまりにも移動に時間がかかるため実用的ではない。

夜行バスで15時に出発して、ヤンゴンには朝7時に到着する。
値段も8ドルと安い。

飛行機であれば1日に何便もあり、1時間30分でヤンゴンに着くが、
値段が80ドルと高額。

結果、まだバスという移動手段も利用していなかったし、
値段も安かったので夜行バスに乗ることにした。
ゲストハウスのフロントで、夜行バスの支払いをすませた。
昨日までは日本語堪能な従業員がいたのだが、
今日からは不在で別の従業員にお願いしたのだが、
このあと問題が起こるとは・・・

バスの出発時間は15時。
バガンの遺跡で訪れたのは1日目にサンセットを見に行ったシェサンドパヤー寺院、
昨日訪れたティーローミィンロー寺院とシュエズィーゴォンパゴダとまだ3つだけ。
まだまだ必見の寺院はあったので、
時間のある限り自転車でまわってみることにした。
時間がもったいないので朝食もとらずに出発することにした。

アーナンダ寺院

昨日訪れたティーローミンロー寺院を通り過ぎ、
まず訪れたのは、アーナンダ寺院。

バガンの中でも特に目立つ寺院で、
理由はほとんどのバゴダがレンガで作られ茶色であるのに対し、
アーナンダ寺院は、建物全体が白色で作られているので目立つ。
さらに寺院上部には金色の尖塔が輝いていて、
見た目に女性的な印象をうける寺院で、他のバゴダとは一線を画している。

2006_0504_1058-4

ただ1091年に建てられたというだけあって、
白い壁も長年の風雨によりかなり汚れきっているが、
かえって年月の経過を物語っている。

本堂に続く参道や入口でさえ大きな建造物で、
本堂を取り囲むように壁も作られていて、寺院内の敷地面積もかなり広い。
この一つの寺院だけでまるでお城のように形成されているが、
その白い壁や装飾から見て、城と言ったほうが正しいと思えるほど立派だ。

昨日と同じように本堂は正方形に作られている。
内部には4体の仏像が四方に配置されて、
女性らしいアーナンダ寺院の外観と同様に
やさしい顔をした女性の仏像が祀られている。
壁にも小さな仏像が無数におかれている。

訪れているのは観光客だけではなく、お祈りに訪れるミャンマー人が多い。
その後訪れたいくつかの寺院に比べれば、訪れてる人は圧倒的に多かった。

PSX_20240529_045814

ところで気にはなっていたことが、いくつかバガンの遺跡をまわるうちに、
寺院と呼ばれるものとバゴダといわれるものがあり、かなり混乱するが、
調べてみるとこう記されている。

バゴダ(Pagoda)
ミャンマー様式の仏塔のこと。 英語では仏塔一般を示す語である。
ミャンマーの人々にとって、パゴダは釈迦がいなくなって以来、
釈迦に代わるものであり、「釈迦の住む家」であるとされる。

寺院
本来仏教の言葉で、出家者が起居し宗教的儀式を行う施設の事である。
寺院の建造物は、礼拝の対象を祀る「堂塔」と、僧衆が居住する「僧房」とに区分される。

パゴダは礼拝の対象が仏塔そのもの、
寺院は内部に礼拝の対象となるものがあるというのが、大きな違いではないだろうか。
観光的な立場から言えば、内部に入れるのが寺院、外側からしか見えないのがパゴダで、
実際観光で訪れるのは、寺院であることが多いのかもしれない。

マハーボディー寺院

PSX_20240529_045838

いよいよオールドバガン地区への入口となるタラバー門を過ぎ、
アスファルトの道から横にそれていくとすぐに見つかった。

PSX_20240529_045923

マハーボディーバゴダは1215年に建てられたもので、
ヒンドゥー寺院によくある四角垂形をしているので目立つ。
俗に釈尊が悟りを開いたところとして知られる仏教の聖地、
インドのブッダガヤーの仏塔を模したものらしい。

あまり大きな寺院でもないのだが、
本来インドにいってたかもしれなかったので、ぜひ見ておきたかったのだが、
インドのヒンドゥー教のイメージがあまりに強く、
本堂の仏塔以外インドをイメージさせるものはなかった。

PSX_20240529_154019

ガイドブックによってはここをマハーボディーパゴダと記載しているものもあるが、
内部に入ることができ仏像も祀られているところからみると寺院が正等だろう。
寺院内をひとりでうろうろしている小さな女の子がひとりいたが、
寺院の番をしていた年配者の孫のようだ。

PSX_20240529_045937

年配者はノートに何かの数字を書いていたので、
女の子はあまりかまってはもらっていなかったのだが、
しきりに一人で寺院内をうろうろと歩き回り、楽しそうに遊んでいたのが印象的だった。
この先、寺院・パゴダをまわると必ず子供たちと出会ったが、
ミャンマーでは学校が休みなのだろうか。

ブーパヤパゴダ

また主道に戻り、再びわき道へそれていく。
するともうアスファルトの舗装されている道ではなくなったが、
3分も走るとパゴダの入口にたどり着いた。

PSX_20240529_045956
PSX_20240529_154301

ぼてっとした金色の真ん丸いようなパゴダはどこか愛嬌が感じられる。
規模からしても他のパゴダに比べればかなり小さいものの景色が抜群によい。、
すぐ横にエーヤワディー川があるものと思っていたが、
思っていたより高い場所にたっていて視界が開け、
風も涼しく他のバゴダに比べのんびりできる。

PSX_20240529_050015

川が近いこともありしきりにボートに乗らないかと声をかけてくるが、
「マンダレーからここまで10時間も船に乗ってきたんだよ」と言うと
アピールすることもなくあっさりと引き下がっていった。
さすがに10時間も乗ってきたら、無理には誘えないだろう。

青い服を着た少年がこちらをずっと見ている。
周りに大人もいないし友人もいない。
ひとりでいているのが気になったので、声をかけてみた。
しかし英語が会話できる年齢もない。
どうみてもまだ10歳程度だ。
しかしそばによってきて、ニコニコしている。
おもむろにポケットにあったキャンディーをあげると、
少年は参道の土産屋にむかっていった。
どうも親にもらったけど食べていいのか聞いているようにみえた。

PSX_20240529_154246

その行為に僕は感心したのだが、
その先は少年にとっては違うようだった。
彼は土産屋の子供で絵葉書を売っているのらしいのだが、
なかなか声を掛けられなかったようだ。
自分の前までやってきてつらなったポストカードを広げ始めた。
ちょうど欲しいとも思っていたし、
10枚で1ドルならと購入すると
少年は控えめに喜んでいた。
周辺にいたボート勧誘の大人たちも
少年にむかって良かったねという感じで微笑みかけていた。
大人たちは少年が物売りに慣れていないことを知っていたのだろうか。

PSX_20240529_154313

ブーパヤーパゴダはエーヤワディー川から吹く風がとても気持ち良かったが、
時間があまりないので、次の寺院にむかった。

ゴドーバリィン寺院

PSX_20240529_163256

1174年~1211年にかけて作られた寺院で、
仏塔は高さ66mもありバガンで二番目に高い寺院らしいが、
訪れる人もかなり少なく、思ったよりこじんまりとした雰囲気がある。
アーナンダ寺院と同様に白い壁が寺院なのだが、
同じようなもので大きいものを見た後に、小さいものを見ると、
感動しないのは感じないのは自分だけではないだろう。

内部の仏像の前では3人の親子が祈祷をしていた。
とうより母親だけがしきりに数珠を持ち、数珠のひとずずつをなぞるように、お経を唱えている。
その横にいたのはまだ3歳ぐらいの袈裟を着た小さな子供と、私服を着た兄の二人兄弟。
母親はしきりに祈り続けているのに、
子供たちは小さなプラスチックのコインを発射する銃のおもちゃでしきりに遊んでいる。
しかし母親は一向にしかったりすることはない・・・不思議だった。
寺院の本堂内で遊ぶということは日本では考えられない行為だ。

PSX_20240529_163308

この子供は袈裟もかけているし、頭を丸めてもいるし、
小さい修行僧ということには違いないが、まったく寺院には遊びにきているという感覚だ。
まだ3歳ぐらいという年齢からして、当たり前なのだが、
いくら小さいとはいえ袈裟をきて本堂内で遊ぶ修行僧・・・何か違和感を覚える。
昨日見た、得度式(こちらを参照)のようなもので、
儀式的に出家している子供なのだろうか。

ただこうして親子そろって寺院に祈祷しにくることや、
それを見ていた寺院の番人も何も注意することはなかった。
それだけミャンマーという中に信仰、すなわち仏教が根付いている証拠なのかもしれない。

PSX_20240529_050043

次に向かったのはタビィニュ寺院は、
先ほど訪れたゴドーバリィン寺院と似たような建物だったが、
高さも65mと66mのゴドーバリィン寺院とほとんど変わらないのにこちらのほうが大きいと感じた。
おそらく建物自体が同じ白色でもかなり汚れ黒ずんでいるせいで、
汚れより長年ここに存在してきたという威圧感のようなものがあった。
しかしアスファルトの道からはずれ、土の道をいかなければいかず、
近くまで進んでみたが、きちんと確認もしないのに、
建物には鉄格子があって中に入れないと勝手に判断し、折り返し戻ってきてしまった。

確認もせずに戻ってきた理由は簡単だった。
すっかり温度もあがり、疲労感がでてきたし、
何より朝から何も食べていない空腹感で力がわいてこなかったのだ。
そしていくつかの寺院・バゴダをまわるうちにすっかり飽きてきたのも本音かもしれない。
一度そう思いだすとすべてが面倒くさくなってきた。
もっていたペットボトルの水もつきはじめ、ノドもからからだ。
しかし周辺に売店すら見当たらない。
最後にバガン初日に夕陽を見たシュエサンドーパゴダから、
もう一度バガンの大地を眺め、ゲストハウスに戻ることにした。

シュエサンドーパゴダ

シュエサンドーパゴダはパゴダなので内部に入ることはできず、
階段をあがって景色を眺めることしかできない。
もちろん景色を眺めにやってきたわけだが、
日中に訪れると太陽の日差しが照りつけて、恐ろしいほどに熱されていた。

PSX_20240529_050213

入口で裸足になり階段を駆け足であがっていくのだが、
太陽が頭上にあがりすぎ、日陰になる場所がほとんどない。
最後にのんびりバガンの景色を見納めようと思っていたが、
同じ場所に一秒とたっていられない状態で、
足の踏み場がやっとあるほどの日陰で
立って景色を見ているのも長くとは時間はもたなかった。

訪れている観光客もまったくいない。
夕陽の時がうそのように静まり返っている。
当然いくつもあった土産を売る店もまったくなかったのだが、
なぜか数人の子供たちが集まって遊んでいた。
目的はそれぞれだが、寺院・バゴダには子供がいる。
ここの子供たちは観光客におこぼれをもらうのが目的だったようだ。
しきりにキャンディーと訴えかけていた。

PSX_20240529_050303

こんな日中に来る観光客などいないだろう。
しかし夕方に比べればライバルも少なく、
観光客からもらえる可能性も高いのだろうか。
でも子供たちは運がよかった。
自分のカバンにはキャンディーが1袋入っていた。

PSX_20240529_050131

シュエサンドーパゴダの周辺の道路はアスファルトではないので、
土なのだが意外と柔らかくすぐに車輪を取られ、
転びそうになってしまうので押して歩いていくことにした。

PSX_20240529_050200

それにしてもバガンという場所は今更ながら広いと感じる。
政府の意向で遺跡のまわりには住居などはなくなっているが、
ときおり歩いている人を見かける。
いったいどこから歩いてきたというのか不思議なほどだ。
今登ってきたシュエサンドーパゴダから眺めたが、
周辺には村などは見当たらなかった。
ここまで来るだけで1時間以上はかかってるだろう。
さらにこの先の村までは歩いていたら1時間はかかるのでは。
ただマイペースで歩き続ける姿に
自分たちと彼らの時間の進む違いを感じてしまう。

PSX_20240529_050145

目の前の遺跡の合間の枯れ果てた農地ではヤギを放牧している。
暑季だけあってほとんど草などは見当たらないのだが、
それでも枯れた草木を食べているようだ。
緑のないバガンの大地にも牧歌的な風景は存在した。

ミャンマーにはミャンマー人なりの時間が流れている。

ここまで車や自転車で急いでバガンをめぐってきたが、
ふと立ち止まってみると、また違う景色が見えてた。
バガンにきて初めてのんびりという気分を味わった。

PSX_20240529_050324

このゆったりとした時間の流れにどっぷりはまるのが、
ミャンマー流の旅なのかもしれないが、
限られた時間の中で旅をするものには難しい問題なのかもしれない。

ウォーター、プリーズ!

大きな道に出てから5分ほど走ると
駐車場に売店が並ぶ寺院があった。
すっかり水はなくなっていたし、周辺にはバゴダもなさそうだったので、
まるでオアシスのように救われた気分になった。
自転車をとめて、レモンソーダをがぶ飲みし、
冷えたミネラルウォーターを買い、ゲストハウスを再び目指した。

本当にこの周辺には寺院もバゴダも、村もなく、
ただまっすぐの道が延々と続いている。
いかに平地とはいえそれなりにアップダウンもある。
登りに差し掛かると本当にきつかった。
とまっていても容赦なく灼熱の太陽がおそいかかってくるし、
州変異は日陰などほとんどない。
やはり一時も早くゲストハウスへ戻るしかなかった。

途中、道路をとおりかかるとしきりに

「ギブミーウォーター」

という子供たちに遭遇した。
あたりには大人たちはいない。
この子供たちは何をしているのだろうか。
ただ彼らの手にはコップが握られている。

裕福には見えないミャンマーだが、さすがに水が欲しいとは…
買ったばかりの冷たい水をわけてあげると、
一瞬のうちにおいしそうに飲み干した。

PSX_20240529_050312

観光客から水をもらうためだけにそこにいたのだろうか。
それにしてもまわりには何もないただの道路沿いなのに…
まだ宿までは距離があったけど、あまりにも美味しそうに水を飲むので、
そのままペットボトルを渡して、その場を後にした。

日本食レストラン「富士」

容赦なく照りつける太陽の下、
朝から何も食べずにサドルのない自転車をずっと漕いでいたので、
疲れがピークに達していた。
とにかく洗濯物がたまっていたので、干してから昼食をとりに向かったが、
さすがにこってりとしたミャンマー料理が頭に浮かばず、
もうすぐ日本に変えるのに、思わず日本食レストランに飛び込んでしまった。

先客は日本人カップルが2人いただけだった。
メニューを見せてもらうと驚くほどの品数だった。
居酒屋メニューから定食メニュー、そして寿司まで幅広い。
おおよそ50種類以上はあっただろう。

藁をもすがる思いでたどりついたとは大げさだったかもしれないが、
暑季のバガンを訪れた人なら理解してくれるだろう。

かき氷とそーめんを注文した。

PSX_20240529_050336

かき氷はまさに日本のかき氷そのもので、
こまかく砕かれた氷が口の中に広がり
冷たい清涼感がたまらなく美味しい。

PSX_20240529_050345

ソーメンもまさしく日本のソーメン。
僕は日本の夏場でもあまりソーメンは食べない。
食べやすいが低カロリーで結局エネルギー切れになるからだ。
しかし、食べやすいことには違いなく、
ソーメン系の食べ物以外胃に入らないと思うぐらいバテバテだったので、
まさに日本食に救われたいっても過言ではない。

通過するバス

結局、最後にかき氷をお替わりして、
ニャンウーのマーケットへ足を運んでみたが、
お店のほとんどが閉まっていた。
どうも日中は暑すぎて人通りもなく店がしまっているようだ。
メイン通りもほとんど歩いている少ない。
ミャンマー人でさえ暑季の日中は暑すぎるのだろう。

ゲストハウスに戻り、
乾かしていた洗濯物を取り込みにいくと、もうすっかり乾いていた。
するとそこにはポッパ山から戻ってきたのりさんと三度再会。
本当、何かの縁があるのかというほど出会う。

PSX_20240529_050413

パッキングをして2泊分の宿代8ドルを払い
通り沿いのベンチでバスが来るのを待っていた。
日本語堪能な従業員が居なかったのは残念だったが、
彼に色々ミャンマーの事情が聞けてよかった。
この宿に選んで正解だったと思う。

そして15時から10分ほど過ぎたころ、
目の前をバガン行きのバスが停まらずに通り過ぎていった。
いっしょに見送りで待っていた従業員が驚いた様子で、
バスに「止まれ~」と呼びかけていたが、当然止まる気配はない。

従業員が「クーポンは持っていないのか?」と聞かれるが、
もちろんそんなものはもらっていない。
いまいち事態がつかめなかったが、
もしかすると朝にバス代を払ったと思った分は、
従業員が勘違いして宿代として受け取ったのではないだろうか。

たまたま朝に対応した従業員がいたので、
そのことを別の従業員に話すと、思った通りだった。
その従業員は怒鳴られるように怒られていた。
「彼は英語はあまり得意ではないので、ごめんなさい」
と謝られるが、現にバスは出発してもういない。

こうなると飛行機で行くしかなくなった。
冷静になって考えれば明日の朝でも良かったのだが、
とにかく従業員が段取りよく対応してくれたので、
その場の流れで飛行機で旅立つことになった。

揉めたタクシー運転手に送られて空港へ。

旅行会社に電話をして確認してくれると
1時間半後にヤンゴン行きの飛行機があるという。
パスポートと80ドルを預けると、
自転車に飛び乗り旅行会社にチケットを手配しにいって、
大汗をかいてものの10分で戻ってきた。

本来であれば自分でチケットを取りにいったり
しなければならないであろう場面。
宿側のミスとはいえこれだけ一生懸命動いてくれて
本当に感謝だった。
慌しい中スタッフに見送られ宿をタクシーで後にした。

タクシーの運転手は昨日のポッパ山観光の時に
最終的にトラブルになった運転手だった。
ある程度今の事情は知っていたようで、昨日のことは関係なく話しかけてくる。
自分の中でどうもふに落ちなかったところもあったが、
空港でタクシーを降りる際に
笑顔で「よい旅を」と声を掛けられると、
どこか詰まっていたものが抜け落ちたように、
なぜか気持ちが楽になった。
やっぱり自分の確認ミスということにしたほうがスッキリバガンを去れる。
バガンでいい思い出だけ残して帰りたい。
握手をして分かれ、空港ターミナルへ向かった。

バガン→ヤンゴン

PSX_20240529_050520

ヤンゴンまでの飛行機はまたしてもエアバガンだった。
呼び出しがかかると飛行機まで直接歩いて乗り込んでいく。
いよいよ最後の目的地ヤンゴンだ。
どたばたで飛行機に乗り込むことになったが、
今日はゆっくりホテルで寝ることができそうだ。
バスはバスで楽しそうだったが、
ゆっくり寝ることはできないだろうし、
これは結果オーライとしなければならない。

PSX_20240529_050607

離陸し始めると、オールドバガンの上空は飛ばなかったが、
昨日ポッパ山へ向かったときの道が見えてきた。
道路の真ん中を水が流れた後のような風景が広がっていた。
なるほどこれで昨日の道路が寸断されていたのか…

PSX_20240529_050616


すぐに機内食も配られた。
ミートスパゲテッィにチキンとフィッシュ、チョコケーキ。
このエアバガンはさすがに民間初の飛行機だけあって、
機内サービスもなかなか良い。

PSX_20240529_050649

約1時間ほどで降下を始めると、
大地には緑が目立つようになってきた。
マンダレーやバガンより雨が多いのだろうか。
ちょうど夕陽が綺麗に沈んでいく。
今のバガンの天気は分からないが、
もしかしたら綺麗な夕陽が見えたかもしれない。

PSX_20240529_050649

空港の滑走路が夕陽に照らされる頃、飛行機は着陸。
また日本の中古の路線バスでターミナルまで移動する。

空港のタクシーカウンターで「ビューティーランド2」と行き先を告げて、
そこでお金を支払い、街中へ向かう。

窓の外の景色をみて少しあっけにとられた。
今まで見たミャンマーとはまったく違うほど都会だった。
二車線の道路を車がひっきりなしに往来し、
日本の中古路線バスにはラッシュアワーで人をたくさん乗せて走っている。
ミャンマー第2位のマンダレーと比べても、
差は歴然とするほどの都会ぶりだった。
イメージすればベトナムのホーチミンあたりで、
タイのバンコクまでは及ばないといった感じだろうか。

ホテルは中心部の近くにあるということで
ビューティーランドホテル2をチョイス。

PSX_20240529_163122

すでにシングルルームは満室で空きがなく、
窓のない部屋だったが、かえって外気が入ってこないのかかなり涼しい。
12ドルのツインルームを8ドルに安くしてくれるというので宿泊することにした。
やはりゲストハウスというよりはホテルのようになっていて、
しっかりフロントもあり、ツアーカウンターもかねている。
ただ部屋が4階にあり階段のみであがるのは結構しんどかった。

都会では貧富の差がくっきり

早速夕食をとるためでかけたのだが、
都心部とはいえそこはミャンマー、
町の中はそれほど明るいわけではなく、どっちかというと暗い。
近場でてっとり早くすませようと歩いていると、
サクラタワーの下におしゃれなカフェ風の店を発見。
昼食の日本料理で味をしめてしまったせいもあるが、
今度はイタリアンを食べたくなり早速店内に入る。

PSX_20240529_050717

エアコンは強めに聞いており、
店内はとても清潔でおしゃれ。

PSX_20240529_050726

ピザとカフェラッテを注文したのだが、
ミャンマーで食べるピザとは思えないほど美味しかった。
もちっとしたパンのような生地にたっぷりのピザ。
ひさびさの洋食の味を楽しみ、ほおばるように食べた。
2つで日本円で約500円ほどだが、
もちろんミャンマーの物価からすればかなり高い。
しかし店内に入ってくる客も多く、
都心部にくれば貧富の差が広がることを実感する。

ただ窓ガラス一枚隔てて、まったく世界が広がっていた。
店内のテレビではグレムリンの映画が流れていた。
それを窓ガラスにへばりつくように見ている人が数人いる。
僕は窓際に座っていたのだが、外国人と分かるや否や、
貧しそうな子供がガラス越しにポストカードを売りに来た。

宿に戻ろうと店を出ると、やはり子供たちがついてきた。
マンダレーでの夕食時にも同じような場面に遭遇したのだが、
子供たちの目の輝きが違うように感じた。
ヤンゴンの子供の目には輝きが感じられなかった。
都市での貧困は心までも蝕んでいくのだろうか・・・

周辺の売店はすでに閉まっていたので、
ホテルのレストランでビールを2本買って、部屋に戻った。
窓がないということは、日に当たらないとうことで、
かえって涼しいということがわかった。
若干風通しが悪いものの、エアコンもつけずに寝ることができた。

まだサクラタワーの下では子供たちは
絵葉書を売っているのだろうか・・・