まずは北行きのバスが発着するNorteバスターミナルへいくために、
地下鉄で、Autobuses del Norte駅へ向かいます。
バスターミナルの名前が駅名になっているので分かりやすい。
一度乗り換えがあります。
北行きのバスが発着するNorteターミナル。
メキシコシティのバスターミナルで一番大きく、空港のような雰囲気があります。
ティオティワカン行きのチケット売場は一番奥にあるが、それにしても数が多い。メキシコシティ以外の都市ではADOの専用ターミナルがあったので利用しなかったが、一般のバスターミナルへ行けば色んなバス会社があったのだと思う。
ガイドブックには片道しか購入できないということでしたが、
往復55ペソ 704円でバスチケットを購入できました。
この後すぐ9時に出発するということでバス乗り場へ急ぎます。
ティオティワカン方面へのバスはこの一社のみ運行。
TEOTIHUACANOSという会社なのでティオティワカン専門だろう。
チケット売り場から連絡してくれたのか、出発時間をわずかにすぎていたが、
出発せずに待っていてくれた。窓側の座席は全て埋まっていた。
途中で警察官らしき人が乗ってきて、乗客をチェックしていました。
カラフルな家が立ち並ぶエリアがあったりしたのですが、通路側に座っていたので写真撮れず。
ああいうところって、昔は治安が悪くて、
治安回復とイメージ刷新のために塗りなおしているところが多いんですよね。
ティオティワカン遺跡への最寄りバス停は3か所あり、南側Puerta1で降りて北側へ向かう方法が良さそうだった。北側にメインのふたつのピラミッドがあるからで、南側のPuerta1はほぼ下車専用状態で周囲になにもなかった。
ティオティワカン遺跡
モンテアルバン遺跡を作ったサポテコ人とも交流があったティオティワカン人が、
紀元前2世紀ごろから作り出した都市。最盛期の紀元後3~6世紀には20万人が住んでいたそうです。
ところが8世紀ごろ突如としてティオティワカン人がいなくなり、
その後にやってきたアステカ人が、ここを神々が建てた都市と信じ、
彼らの神話の舞台「太陽と月の神話」になぞらえたそうです。
アステカ人は文字を残していなかったので、突如として消えた理由は今も分かっていないそうです。
ティオティワカン遺跡はという名前は、あとからやってきたアステカ人がつけたもので、
本来の名前すら分かっていないそうです。
ティオティワカン遺跡はアステカ文明だと思い込んでいたので、
訪問前に知っておいて良かった。
南側のゲートから入場して最初に見えるのがケツァリコアトル神殿。
ケツァリコアトル神殿
ケツァルコアトル神殿を拝むためにはまず手前のピラミッドを登る。
日本の神社でいうと拝殿のような場所だろうか?
その奥にはケツァルコアトル神殿。
高さは20mでティオティワカンでは3番目に大きなピラミッドですが、
手前のピラミッドはなぜか半分しかないし、異様に距離が近い。
その理由はケツァルコアトル神殿を覆っていたピラミッドの一部だから…。
何のために隠されていたのかは、知る由もありません。
ほかのピラミッドに比べて装飾が残っていたのは、
風雨に晒されなかったからなんですね。
以前訪れたインドネシアのポロブドゥール遺跡も土で隠されていたからこそ、
現在もとても綺麗な状態で残っている遺跡のひとつです。
ケツァルコアトルとは羽毛の蛇、農耕と水の神様だそうです。
見た目はドラゴンのような顔立ちをしています。
ケツァルコアトル神殿の周囲では100体以上の生贄も発見されているそうで、
五穀豊穣、雨ごいなどで生贄になった人たちでしょう。
遠くに巨大なピラミッドが見えるが、かなりの距離だ。
死者の道と呼ばれる南北にとおる大きな通りの長さは全長2キロ以上。
ゆっくり歩いてたら30分近くかかる距離です。
北端にある月のピラミッドが霞んでみえます。
ティオティワカン遺跡のスケールは半端ない。
Conjunto Plaza Oeste
遺跡の下に地下空間があり、階段は下に続いていました。
階段の端には大蛇の頭が見えます。
大事なものを隠すために意図的に作ったのでしょうか…
それとも大きな地震で崩れてしまったのか…
一番大きな太陽のピラミッド前を通り過ぎますが、
ここは最後にとっておこうと思います。
死者の道沿いの基壇にピューマの壁画が描かれていました。
1000年以上に描かれたものだそうです。
一番奥にある月のピラミッドを目指します。
日陰がないので、早めに来て正解でした。
月のピラミッド
高さは42mだが、太陽のピラミッドより高い場所に建っているため、頂上の高さはほぼ同じ。
最上部までではないが、わりと上の方まで登れるます。
チチェン・イッツァ遺跡のククルカンも以前は登れたようなので、ここも登れなくなるの日が来るだろうか。
思った以上に斜度が急で、登りはなんとかなるが、下りは手すりがないとかなり怖そう。
バランスこわして転落したら、下手すれば死ぬんじゃないかな…
月と太陽のピラミッドがとびぬけて大きいため小さく感じるが、
月の広場を取り囲む4層のピラミッドもなかなかの大きさ。
荘厳で規則的なピラミッド群を1,500年以上も建造物を作り出せたティオティワカン文明。
どこから来て、どこへ消えたのかも全く分かっていないらしい。
月のピラミッドはティオティワカン遺跡の中では一番重要な場所で、
ここを中心に様々な宗教儀礼を執り行っていたらしい。
1500年以上前からそう変わらないだろうこの風景。
しばらくこの景色を堪能することにした。
太陽のピラミッドはなんとでかいのだろう。
さすが世界で三番目の大きさのピラミッド。一番上まで登れるようだ。
月のピラミッドの上部に人が増えてきたので、のんびりできなくなった。
そろそろ降りよう。
月の広場から南へ伸びる死者の道の長さは約2km。
当時は20万人が住んでいたのだから、大勢の人が行きかったのだろう。
手すりが1カ所しかないので、人が増えたら渋滞しそうです。
なんとか手すりを使わなくても降りることはできました。
ケツァルパパロトルの宮殿
壁画の保存状態が良く、所々に装飾物や壁画が残っています。
やはり壁画のある地下部分が土に埋もれていたからだと思います。
月のピラミッドや太陽のピラミッドも、完成当時は彫刻された石膏で装飾されていたそうだが、
今ではなにも残っていないそうです。
ティオティワカンの位の高い神官が住んでいた住居だそうです。
柱や屋根は復元されていました。
新しすぎるのでレプリカでしょうが、いつの日かこれも遺跡になる日がくるのでしょう。
ケツァルパトルの彫刻。
頭がケツァール(鳥)、胴体がパパトル(蝶)の成獣。
あまりに綺麗なので大半が近代の石で復元したものだろうと思います。
それにしてもパズルのように組み合わせで、復元も苦労したのだろう。
死者の道に面した場所にあったので見学してしまったが、
出口の近くにあるので、隣接したジャガーの宮殿、羽毛のある貝の神殿は、
帰りに寄ることにした。
徐々に人が増えてきた。早めに来て良かった。
太陽のピラミッド
AD200年頃にはすでに完成してたという太陽のピラミッド。一辺225m、高さは65m。
世界一のエジプトのクフ王のピラミッドは一辺の長さは太陽のピラミッドと変わらない230mですが、高さは138mとこの倍はあるとのこと。
実際に登れるピラミッドとしては、世界一大きなピラミッドでしょう。この事実は大きい。
月のピラミッドほどではないですが、そこそこ斜度はあります。
上に上がるにつれ斜度は低くなっていくので、怖さはそれほどありませんでした。
頂上付近は石をセメントで固めていて自由に歩けるようになっていました。
完成当時は神殿があったそうで、大きく崩れてしまったのでしょう。
観光客にとっては頂上が広く使えるから、このままのほうが良いかもしれませんね。
頂上が広く使えるので、ピラミッドに腰かけてゆっくり景色を眺めることもできました。
下ってきました。
太陽のピラミッドの真正面。
見事なシンメトリーで、これを作れたというのは高度な文明があったのでしょう。
エイリアンVSプレデターという映画で見たことあるようなピラミッドです。
中にエイリアンを閉じ込めて冬眠させていたような…
Puerta2のバス停からだと太陽のピラミッドの正面に出てきます。
puerta1よりも、ここから入場してくる人が多いようで、
観光客が増えるにつれ、遺跡内にも物売りが増えてきました。
太陽のピラミッドの中には、もう1つピラミッドが眠っているそうです。
大切なものを隠すために作られたにしてはあまりにも壮大な覆いです。
太陽のピラミッドの裏側。
直してないんかい。あえて残してるのかもしれないですが…。
シティオ博物館
ティオティワカン時代なのか、アステカ時代なのか…
館内はエアコンが効いていてオアシスです。
太陽のピラミッドの裏手にあるので、あまり知られていないのか、
館内は閑散としていました。
遺跡の模型の奥のガラス越しに見える太陽のピラミッド。
写真ではわかりずらいですが模型のピラミッドは朱色に塗られていました。
本物はどんな色だったのでしょう。
モンテアルバン遺跡で発掘されたものと共通するのはユニークで、
どこか異世界感があるところです。個人的な感想ですが…
見ているだけで楽しいし、ほんと癒されます。
と思ったら生贄。本物かな…
これがティオティワカン人の現実なんですね。
生贄。
雨神のトロラックが描かれています。
シティオ博物館の他に、壁画博物館が月のピラミッドの裏手にあったようですが、
残念ながら当日は気づきませんでした。残念…
ジャガーの宮殿(Patio de los Joguares)
午前中に訪れたケツァルパパロトル宮殿、ジャガーの宮殿、羽毛のある貝の神殿は、
ほとんど同じ場所にあり、どこが区切りなのかもはっきりわかりません。
神官たちの住居部分ですが、この下に地下階があることに驚かされます。
羽根飾りをつけているジャガーが、羽毛のある貝を吹いています。
これはホラ貝なのでしょうか?そして貝の先にあるのは、水だと思われます。
上部には雨神トラロックも描かれているので、
この羽根飾りをつけているジャガーは雨ごいに関係する神様なのでしょう。
羽毛のある貝の神殿(Templo De Los Caracoles Emplumados)
ジャガー神殿は地下神殿の羽毛のある貝の神殿へ続いていて、
午前中に訪れたケツァルパパロトル宮殿の地下部分にあたります。
花の彫刻と羽毛のある貝の彫刻
さきほどのジャガーの宮殿で、ジャガーが鳴らしていた貝にも羽毛が生えていました。
羽毛のある貝っていったい何なのでしょうか?
インコの壁画
説明文にはインコのくちばしの先に描かれているのは水と花となっていました。
農作物の花、農耕に欠かせない水…やはり雨ごいでしょうか。
ひとつ疑問が浮かんだのですが、わずか50kmほど南には、
メキシコシティがかつて湖だったという大きな湖があったのに、
なぜそこに都市を作らなかったのでしょうか。
広大な湖があったのなら、雨ごいをする必要もなかったはずです。
あえて水の少ない場所に都市を作り、神様に雨ごいをさせて、
その神様を利用する形で住民たちを統治していたとも考えられないかな…
ティオティワカン人が紀元前から高度な建築技術を持っていたのに、
雨の少ない場所に都市を作ったことに疑問を持ちました。
大半の部分を見終えたので、メキシコシティへ戻ります。
バスはティオティワカンの町中から経由してくるので、やはり窓側の席は座れませんでした。
メキシコシティーが近づくと渋滞し始めました。
途中のバス停で大半の乗客が降りて行ったので、外を見てみると地下鉄の駅の入口があったので自分も降りました。
Indios Verdes駅という地下鉄3号線の始発駅でした。
宿の最寄りのイダルゴ駅まで乗り換えなしで行けるので、正解でした。
しかも始発駅だから座れる。
胃腸にやさしい「鶏雑炊」
時計はすでに17時を過ぎていました。
宿で朝食のパンを食べて以来なので空腹ですが、やっぱりお腹の本調子ではない。
でも、ティオティワカン遺跡を歩き回ってきたので、空腹度数もマックスです。
なにかお腹にやさしいものはないかと歩き回っていたら、
鶏肉の雑炊みたいなものを提供する屋台を発見。
お腹の調子悪いのに、発展途上国の屋台で食事をするのは大丈夫か?
と普通は考えるかもしれませんが、もともと海外の屋台に抵抗感もないし、
今まであたったこともないので、何も考えずに座って注文しました。
EL POLLITO ALON 35ペソ 280円
胃にやさしい鶏肉の雑炊でした。
胃の調子が悪くなくても、これは日本人は好きだと思う。
パクチーも好きなので、最高の組み合わせでした。
鶏肉は胸肉を使用していて、骨が多いので注意が必要です。
あまり意味が分かってなかったので、PECHUGA 1/4 40ペソを注文したつもりでしたが、
会計は35ペソでした。
どうやらALON 35ペソだったようです。
スペイン語のALONは、英語のALONGという意味だったのですね。
偶然だと思うのですが、この鶏おかゆを食べた後にお腹の調子が戻りました。
明日は久しぶりにビールが飲めそうです。