宿泊している和泊町の中心部は太平洋に面しているので、布団のうえで、どこか朝日を見るのに良い場所はないかと探していると、良さそうな展望台っぽいところがあったのですが、実際に行ってみるとあまり眺めが良くなかったので、近くの堤防から海辺に降りて、朝日を眺めることにしました。


05時38分。暖かい海は雲が湧いてて、水平線から太陽が昇ることは意外と少ない気がします。

沖永良部島の南側は比較的ななだらかな斜面ですが、侵食された石灰岩(珊瑚)でゴツゴツとしています。

昨日買っておいたのり弁当。定番の白身魚のフライ、ちくわ天以外に、エビフライも入ってて、豪華のり弁。

鍾乳洞の営業開始時間にあわせて、少しゆっくりして7時過ぎに宿を出発したのですが、すでに空は真っ青です。この時うっかりふくらはぎに日焼け止めを塗り忘れてて、後ろから照され続けて、やけど状態になってしまいました。

マツキヨがありました。近くにはモリという大きなドラッグストアもあります。5000人の与論島と比べて2.4倍ですが、それ以上の規模の違いを感じます。

ディーラーの看板も与論島では見かけなかった。

土曜日の朝ということで、通勤の車もなく、快適な原付きツーリング。車だと制限速度近くか、それ以上で走らないと迷惑になる可能性もありますが、正々堂々と時速30キロでのんびりと走れるのは良いですね。目にはいってくる景色もゆっくりと眺められ、体に当たる風も強くないのであまり疲れません。

約20分で、ウシジ浜に到着。

逆光気味なので、午後のほうが良さそうです。隆起した珊瑚が波に侵食されて、さまざまな形の岩ができあがったそうです。観光サイトに朝日の名所と記されていますが、この時期は北より昇るので厳しそう。むしろ南南東に海が面しているので、天の川と撮ると良さそうです。

そういえば、フェリーが沖永良部島に到着したとき、警察が乗客を確認していました。

知名町の中心部に入ってきました。沖永良部島は、東に人口6,300人の和泊町、西に人口5,700人の知名町、ふたつの町で構成されていますが、仲が良いのか悪いのかは知りませんが…。
それぞれにしかないものをとりあげるど、東の和泊町には空港とフェリーの港があります。西の知名町には、高校と救急搬送の扱いがある総合病院があります。ただ利便性を重要視せてか、高校は和泊町と知名町の中心部から中間の地点にあります。まあそんなに変わらない気はしますね。

知名町の中心街。週末の朝ということで、とても静かですね。

地方にいくと全日食チェーンのスーパーを見かけます。調べると全国規模のフランチャイズのようで、できるだけ店舗の独自性や地域性を大事にしているとのこと。1700もの商店が加入しているそうです。
屋子母海岸(やこも)

08時00分 スノーケリングスポットしてあげられてましたが、波が入ってくる時間帯はちょっと厳しそうですね。干潮近くになるとタイドプールのようになる場所です。いづれにしても、綺麗な珊瑚は期待できないようです。

屋子母海岸には旅館と海の家的な施設が一軒だけあります。そうめん流しいいですね。

与論島とさらに右奥に沖縄本島の島陰がみえています。地理的に与論島から一番近い場所が屋子母海岸になります。
大津勘海岸ビーチロック

ビーチロック。珊瑚のかけらと砂が凝結し、板のような状態になったもの。10~20㎝の板が層になっているようです。長さ200m続いていて、この規模の大きさは珍しいようです。

一度と降りすぎたのですが、気持ち良かったので、もう一度走るために戻ってきてしまいました。沖永良部島を一周しましたが、大津勘海岸が道路と海が一番近い距離にありました。

緑が多くて、空も広い。北海道を走っている気分です。

住吉海岸。さきほどの屋子母海岸より、こちらのほうが綺麗で、泳ぎやすそうです。

貝塚は先史時代の住民が食べていた貝類の捨て殻の遺跡。発掘調査が行われ、縄文時代後期~弥生時代初頭にかけて、14棟の住居の痕跡が見つかり、九州から持ち込まれた土器や石なども見つかったそうです。はるか昔から九州と交流があったとは驚きました。現在は遺跡保存のため、埋め戻されているので、看板がたっているのみです。
住吉漁港の海

与論島含めて、今までみたなかで一番の美しさではないかと思うほど。海の透明度がかなり高いと思われます。梅雨明けして一週間以上まとまった雨が降っていないことも好影響なのでしょう。

住吉漁港の外側の海。飛び込みたくなりますね。

港湾内でも海が美しい。このまま海沿いを北上すると昨日訪れた田皆岬なのですが、太陽が南中しているときに見たほうが綺麗そうなので、海からいったん離れて山の中腹にある鍾乳洞、昇竜洞へ向かいます。
住吉暗川

復元された9本柱の茅葺き屋根の高倉。昔は貯蔵庫として使われてたそうで、現在は休憩所として復元されています。この裏側に住吉暗川の入り口があります。

住吉暗川の入り口は、住吉集落の中にあり、近くを主要な道路がとおっているので、こんな場所に大きな暗川(洞窟)があるのかと驚かされます。上水道が整備されるまで、水源は生活するのにかかせないものなので、暗川を中心に集落ができたのかもしれませんね。後に調べたら、まさにその通りでした。

整備されたコンクリートの坂道、階段を使って降りていきます。昔の人はここで水を汲み、登ってきたのだから大変な重労働だったのでしょう。

入り口でスイッチを押すとライトが点灯し、内部を照らしてくれます。昼間でも薄暗いので、もし点灯しなければ辞めていたと思います。
沖縄本島ではこのような洞窟をガマと呼ばれていますが、戦時中には悲惨な出来事があったところも多いのです。実際語り部さんとともに、中に入って話を聞いたことがあるので、怖い印象を持っていました。調べみると沖永良部島では米軍の空爆が和泊を中心にあったようですが、地上戦はなかったので、そのような悲惨な出来事はないとのことでした。

現在でもポンプで水を汲み上げて暗川の水を利用しているようです。この奥は水浸しになっているので、ここで引き返しました。

暗川の入り口は広いけど、樹木が覆い茂っているので薄暗い。
昇竜洞

入場料は1,100円しますが、沖永良部島では田皆岬と並ぶ名所。さすがにここはスルーできないですね。駐車場が入口側と出口側にそれぞれありますが400mほど離れています。先に出口側に停めて、坂道を歩いて移動したほうが良いとのことで、自分はそうしました。

昇竜洞は、1963年(昭38)に愛媛大学の探検隊によって発見されたもので、全長3,600mのうち、600mが一般公開されています。
本州にある鍾乳洞がおおよそ4~2億年前に出来たといわれていますが、ここ昇竜洞は100万年前に出来たとされ、比較するとかなり新しいものです。
入口にあった看板によると、鍾乳石は1mm生長するのに3年かかるそうです。1cm30年、1m3000年、とてつもない長い年月を要するのですね。

入口を振り返ったところ。入り口(上流)が広いので、外から流れ込んだ雨水も洞窟の形成には影響を与えていそうです。

天井を見上げると土が突き刺さってくるような迫力があって、面白い光景です。天井から滴る水に含まれる石灰が作りだしたものです。

白鳥のキッス
上から伸びた石と下から伸びた石とが繋がったということ。鍾乳洞内にはこのように名前をつけられた場所がいくつかありますが、だれが名付けたのでしょう?

ライトにあたって鍾乳石ぐキラキラと輝いています。このような白い鍾乳石は今まで鍾乳洞ではみたことがありません(そんなに数はいってないけど)。どちらかといえば、温泉が噴出しているようなところで見かける光景です。



最も低い場所で122cmということで、しゃがみながら歩かないといけません。また幅の狭い場所は55cmです。高低差は少なく歩きやすいのですが、足腰が弱い人や太りすぎの人は見学できません。

こういう色のついたライトアップはやすっぽくて辞めて欲しいですね。自然そのままの色で表現して欲しい。ここは一部だけだったので良いですが、20年以上前にいったベトナムのハロン湾クルーズ中で立ちよった鍾乳洞は、全体がカラフルにライトアップしていてゲンナリとし記憶があります。

足元の模様も不思議ですね。いったいどうやって出来たのでしょうか。鍾乳洞内を流れる水が削っていったのでしょうか。そのような説明があればいいなと感じます。

鍾乳石のことを流れる石に例えて、フローストーンとも呼ばれるようです。まさに滝のような造形です。

昇竜神社
この場所で管玉(くだたま)という首飾りをつけた二体の人骨が見つかり、奈良時代に遣唐使として派遣された高官が遭難した際に逃げ込み亡くなったのではないかと推察され、その方々をお祀りするために神社が作られたそうです。

後半になるにつれ、広い場所と狭い場所が交互現れるようになります。


最初は白かった鍾乳石が、徐々に色が茶色くなってきたのかな?古くからあった本州の鍾乳洞はすでに色が劣化していたから、白っぽい鍾乳石をみたことがないのだろうか?

まさに自然の造形美。変化に富んでて、見飽きないですね。



通常30分間のコースでしたが、気づけば50分かかっていました。途中で飽きるかと思っていたのですが、石柱の形だけでなく、色彩の変化があったりして、とても興味深いものでした。途中で追い抜かれた観光客は一組だけで、道中とてもゆっくりと見学できました。
沖永良部島には300ほどの鍾乳洞もあるそうで、鍾乳洞を探検するケイビングの聖地としても知られているそうです。カイド同伴で参加できるケイビングもあります。

やっぱり暑くても外がいいですね。鍾乳洞に入る前より、雲が増えてきている?

沖永良部島は畜産も盛んなようです。いわゆる黒毛和牛の産地です。実際には子牛の間に出荷されて、育った場所の名前がつけられるので、沖永良部島牛という名前のブランドがつけられることはないようです。飼料の高騰が原因で、子牛の出荷価格が暴落している記事を読んだことがあります。円安で輸入している穀物が高騰しているそうです。円安は一部の輸出企業が儲かるだけて、ほんと良いことないですね。

さてさて、雲はなくなったようなので、海岸線を目指して、いっきに下っていきます!