部屋のエアコンが潰れていたのか、故障していたのか、
涼しい風が出ることはなかったが、
窓を網戸にしているとそれなりに暑くもなく寝れることができた。
ミャンマーのゲストハウスはほとんど朝食付きだという。
もちろん今回泊まっているロイヤルゲストハウスもそうだったのだが、
食べることはしなかった。
朝食内容がコンチネンタルブレックファーストだったからだ。
せっかくここまで来て洋食を食べるのはもったいない。
(食べないこと自体がもったいない気もするが)
宿のほぼ目の前にある桜花レストランにいくことにした。
おすすめのシャンヌードル。
麺はタイのセンミーのような細めんを使用して、
ちょっと辛味のあるあっさりスープで、朝食にはぴったり。
量的に少なそうだったので、揚げパンも注文。
スープに揚げパンをつけながら、しつこくなれば付け合せの漬物を。
郊外のゲストハウスの前には、ほとんどタクシーが客待ちをしている。
タクシーといっても、軽トラックを改良したようなものだ。
昨日の朝に宿についたときに、少し話を交わしていた。
わりと流暢に話す20歳ぐらいの男のミャンマー人が、
「郊外の観光にいかないのか?」と声を掛けてきたので、
明日に行く予定なので、また明日お願いするかもということで、
話は終わっていた。
もちろん今日の朝も彼に出会あったので、
変なところで律儀な部分もあるし、料金を聞いてみると相場の値段だったので、
どうせなら日本語が話せるほうが楽かなと思い、お願いすることにした。
出発は9時だったので、朝食を食べ終わったが時間があったので、
もう少し周辺を散歩することにした。
大通りにでれば一般的な通勤風景が広がっていた。
ただ自転車の数が圧倒的に多く、たまに通る車の10倍はいるだろう。
そして信号が赤になれば、信号待ちの自転車が列をつくる。
自転車のラッシュアワー。
一時の中国の自転車の数は多く、通勤風景がこれに似ていた記憶がある。
今の中国は発展著しくこのような風景はないだろう。
ラッシュアワーというものがあるのであれば、
当たり前だが、みんな会社に通う為の移動。
マンダレーは第2の都市にしては田舎だなあと感じていたのだが、
しっかり都市として機能しているのかもしれない。
それにしても自転車のラッシュアワーは、
排気ガスもなく、音も静かだ。
世界はより便利にという方向性に向かっているが、
慢性的な交通渋滞、排気ガスによる温暖化、
色々な弊害をうみつつある。
ある欧米の都市では自転車専用道路があり、
それを使って通勤することを推奨しているという。
おかしな話であり、よくある話なのだが、
進化・進歩したところで、結局目指すところは、昔の姿という話。
このミャンマーの通勤風景こそ、
未来の目指す風景なのかもしれない。
この日のコースをまず確認した。
最初にマハガンダーヨン僧院で朝食風景を見る。
次にザガインヒル観光。
そしてインワ観光。
最後にウーベインブリッジでサンセット。
流暢な日本語を話す男はアサヒという名前のガイドだった。
それにしてもアサヒは本当の名前か?聞いても本当だという。
疑ってしまうのは、名前があまりにも日本ぽかったからである。
そしてドライバーは別の人物で、二人とも20歳と若い。
出発してしばらくして、いきなり骨董品屋で降ろされた。
こういうことには慣れっこだったので、
店内を一回りして、すぐに戻ってきた。
ミャンマー人といえど、ちょっと油断できないな。
市内からだいたい30分ぐらい走ったところだろうか。
川沿いに出てきた。
そしてアサヒが「ウーベインブリッジ」と指を指す。
想像していたよりとても長い橋が姿を現した。
橋の長さは1.2キロも続く。
また暑季ということで高い橋桁は地上までほとんど姿を現していた。
そしてそれだけの長い橋が木(チーク材)で造られている。
思ったより骨董品屋ですぐに帰ってきたこともあり、
マハガンダヨン僧院の朝食まで時間があまったので、
ウーベインブリッジで1時間弱散策することができた。
ウーベインブリッジの入口に来たとき、とても不思議な雰囲気を感じた。
この橋は当たり前だが観光客が通るものだけでなく、
ミャンマー人が普通に生活の道路(橋)として使っている。
歩いているだけで様々な人にすれ違う。
近くの僧院へ向かう若い修行僧たち。
そしてピンクの袈裟に身を包む女性僧。
自転車を押して歩く人。
橋から釣りをする人たち。
もちろんミャンマー人もここを観光地として訪れ、
記念撮影をする家族を目にすることができる。
日常生活のために移動手段としてこの橋はかかせないものなのだろう。
そしてこの橋の周りで繰り広げられる日常生活の光景もまた、
日本人の自分にとっては、新鮮で不思議な光景にうつった。
水牛が地面を耕す。
異様な人だかり・・・しばらくして、
魚を抱えた人たちがいっせいに四方に帰路につく。
あまりに橋が長く我慢できなかったのだろうか、
橋を下りて小さな子供が用を足す、そしてそれを手助けする母親。
ウーベインブリッジで繰り広げられる光景は、
平凡な風景には違いないのだが、
平凡だからこそ魅力ある風景、
そしてそれ以上に僕はこの橋に不思議さ感じられずにはいられなかった。
しかし、10時前だというのに橋の上は、
灼熱の日差しが容赦なく降り注ぐ。
橋には一定区間ごとに屋根つきのベンチが設けられている。
休み休みにいっても、かなり体力を消耗する。
距離は1.2キロしかないが…
おおよそ半分ぐらいの場所で、引き返し戻ることにした。
マハガンダーヨン僧院
大きな観光バスが止まっていた。
マハガンダーヨン僧院には、
1,000人を超える僧侶が暮らし、
この僧院では一般に内部を公開していることもあり
いっせいに朝食する風景を見ることができる。
まさにその姿は壮観で、観光地としても目玉になっている。
食事風景を一般的に公開する僧院は少ないという。
これは仏教徒ではない国の観光客に、
仏教徒の生活を知ってほしいという願いなのだろうか。
僧院内の食堂の横の広場には、朝食の支度ができていた。
いや朝食と言っていいのだろうか。
他の僧院の事情は知らないが、
1日に1度しか食事があたえられないという。
大きな鐘の音があたりに鳴り響くと、
赤い袈裟に身を包んだ僧侶が、四方から集まり出した。
どこかゆったりとした集まり方は、
今から一日唯一の食事を食べられるといった、
喜びのようなものは感じられない。
食事は、食堂横の広場で配給されることになっているので、
そこを先頭にして長い列をつくる。
前のほうは年上の僧侶、そして後ろにいくにしたがって、
だんだん若くなっていくようだ。
一番後ろでは、白い袈裟をまとった小学校の1年生ぐらいの
少年のような若い僧侶だった。
みんな神妙な顔つきだったが、
その少年僧侶たちだけは、喜びを体一杯に表していた。
まだ修行がたりないのか、それとも先輩僧侶達が心の奥に隠しているのか。
配給する場所では、お経が唱えられはじめた。
そして食事の配給がはじまった。
僧侶は托鉢盆(黒い鉄の丸いボウル)をもち、その中に白い御飯を入れる。
食堂へ移動する。
食堂のテーブルには何種類かのおかずがお皿に盛られている。
毎日同じ作業を繰り返しているだけあって、
スムーズに流れていく。
広い食堂はあっとうい間に、僧侶達で埋め尽くされていた。
そしてもくもくと食事をすすめる。
しかし、その周辺からは、観光客からの目線が飛び込んでくるわけで、
どのような心境なのだろう。
中に入ってよく見ていると、おかずだけは全部食べていたが、
托鉢盆の中には白い御飯をほとんど食べ終わらずに、
食事を終えていた。
食事の支給は1日だけだが、分けて食べていることがわかった。
考えてみれば、そのほうが健康的にも当たり前のことであって、
1日1食のような生活していれば体がどうにかなるだろう。
配給前のゆっくりとした集まり方は、1日1食ではないということの
証しだったのだろう。
僧院の中には乞食の姿も目に付く。
ただ乞食というには、普通の生活を送っているかのような服装をして、綺麗だ。
小さな子供と母親や、小さな子供達というパターンが多い。
僧院の中ですんでいる様子もないことから、
食事時になるとこの場にやってくるだけなのだろうか。
食事を終えた僧侶達に、空のお皿を差し出し、御飯をもらおうとしていたが、
誰ひとり渡す僧侶はいなかった。
今まで、そしてこれから、いつになっても渡す僧侶などいないだろう。
貴重な1日1回の御飯の支給。
しかし、乞食たちはここに来ることによって得られるものはないだろうに。
僧侶というミャンマーを象徴するものの生活者と、
また満足に食事できない乞食という裏の生活者。
どうしてもこの2つを結びつけることができない。
なお、不思議だったのが乞食が乞食らしくないということ。
自分はまた不思議な風景に出会ってしまった。
マンダレーも古都のひとつに数えられるが、
その周辺にはその昔古都と呼ばれていた都が点在する。
アマラプラ、ザガイン、インワ・・・
それぞれがマンダレーから、車で移動しても1時間以内。
朝から訪れたウーベインブリッジとマハガンダーヨン僧院は、
アマラプラという地区にある。
次に向かうのはザガインという場所だ。
軽トラックを改造したようなタクシーは、
後ろの荷台にベンチをつけて、屋根をつけたようなもの。
タイでよくみかけたソンテウという乗り物の小さいバージョン。
道路はミャンマーにしてはといったら失礼だろうが、
綺麗に舗装されていて、硬いベンチに座っていても苦痛ではない。
ザガインへいくには、エーヤワディー川を渡らなくてはならない。
エーヤワディー川はミャンマーを南北につらぬく最大で最長の川。
しかし掛けられている橋は1つしかないとう。
それがこれから渡っていくインワ鉄橋で、
ミャンマーの重要な交通路のひとつとして数えられているらしく、
本によると撮影禁止ということだ。
中央に鉄道のレールがひかれ、両サイドに片側1車線ずつ道路がある。
入口で通行料を係員に払うなければならないが、
ぜんぜんスピードを落とす気配がない。
すると丸めた紙幣を係員の近くで道路にポンと落とした。
察するにはスピードを落とすのが面倒くさいのではなく、
ガソリンが7倍にあがっただけに、できるだけ燃費よく走りたいからなのだろう。
確かにインワ鉄橋はミャンマーにしては立派な橋だった。
車内に吹き込む風が心地よい。
ザガインヒル
橋を渡りきると、ザガインヒルという寺院、仏塔が点在する丘があり、
ふもとから山頂へ参道が延びていた。
山頂まで車でいけるということで、無理を言えば行ってもらえたかもしれないが、
せっかくなので、ふもとから歩いて登ることにした。
なんとなく昨日行ったマンダレーヒルと似ている。
参道をあがっていくと、ところどころに寺院や仏塔、仏像が置かれている。
もちろん参道には屋根があり、直射日光をさえぎってくれる。
ただ唯一違ったのは、頂上以外は土足のまま上がれるということだった。
それにしても暑い。
屋根などなければとても歩いてはいられないだろう。
この時期のミャンマーは日中40度近くになるという。
何度も汗をぬぐいながら、頂上までは約30分で到着した。
頂上にでるとマンダレーヒルと同じように展望デッキがある。
古都とよばれるだけあって、このザガインヒルだけでなく、
かなりの仏塔、寺院が点在しているのがよくわからる。
先ほど渡ってきたザガイン鉄橋、エーヤワディー川の流れ、
そして何よりも濃い青空と白い雲に、ミャンマーの大地の緑が栄える。
歩いて登ってきたという、スパイスも景色の良さに味付けもきいているようだ。
さすがに頂上全体は寺院となっていて、土足禁止で裸足で歩かなければならず、
展望デッキには屋根もないことから、
磨かれた石床はとっても熱されて、長時間たっていることはできない。
裸足で歩くのが熱く耐えられないというのは、このときが初めてで、
この先のインワ、バガン、ヤンゴンでも苦しめられることになる。
展望デッキでは二人の兄弟らしき少年に付きまとわれる。
付きまとわれるというのは、大げさかもしれないが、
ずっとこっちを見ている。
目線が気になる。
ちょっと移動すると、また同じようについてくる。
それが距離が近すぎないだけに、余計に気になった。
こちらがニコッと笑うと、向こうも少し笑い返す。
本堂内は参拝客でにぎわっていた。
本堂および仏像の正面は、参道からの反対の方向に向けられ、
本堂の正面入り口は車道に面していたので、
ちゃんと麓から参道をあがってきたのに、裏道から来たような気分。
参道ですれ違う人はそれほどいなかったので、車で訪れる人が多いようです。
展望デッキは相変わらず、太陽が照りつけ灼熱の地獄でしたが、
本堂の中はひんやりとしていて気持ちがよかった。
帰りに喉がかわいたので、
展望デッキ横のお店でコーラを買おうとした。
店のおばちゃんは、
「8000チャット(80円)」
結構高いのでびっくりした。それ以上に、
そのコーラのくたびれようにびっくりだった。
赤い色のコーラ缶の塗装が剥げ落ちていて、
飲み口のところに泥が付いている・・・。
その値段のことより、そっちにびっくりしてしまい、
思わず「他のに変えて頂戴」となってといったが、
結局、変えてもらっても、泥はなくったにしろ、
塗装は剥げ落ちている。
高い8000チャットのコーラの味は、
予想通りで炭酸は半分以上抜けきった味で、
思わず笑いが出てきた。
そのおばちゃんの娘だろうか、店の横で奇妙な食べ物を売っていた。
唐辛子の真っ赤に染まった乾燥した蟹。
「これもどう?」と聞かれたが、
辛そうだし、周りには結構はえがぶんぶん飛んでますし・・・。
としてると、屋根から何かが落ちてきて、かなりびっくりした。
ん?
巨大なカミキリムシだった。日本のより2倍ぐらいある。
落ちた瞬間に「キーキー」といった感じの泣き声も聴こえてきた。
何かこっちを威嚇してますけど・・・。
すると、店のおばちゃんがほうきで思いっきり履いて
カミキリムシは遠くのほうへ。
おばちゃんはこっちを向いて「ニコッ」と笑う。
そして、娘の売り物の蟹をぼりぼりつまみ食い。
なんだろう、ミャンマーに来てから、こんな何でもない出来事、
ひとつひとつが楽しくてしょうがない。
それはミャンマー人の純粋さ親切さを感じとっているからだろうか?
それとも自分がミャンマーという土地にきて、
社会や日常から放たれたことで自分も純粋になっているからなのだろうか?
おばちゃんに別れを告げ、参道を降りていくことにした。
インワ観光
ふもとでアサヒたちと合流し、インワへ向かった。
再びインワ鉄橋を渡り、木立の中の道を行く。
道の終点でタクシーはとまった。
インワまでは川を渡るのだが、橋がないので渡し船でいくという。
ここだけはどうしても、タクシーから降りなければならず、
降りたとたんに、土産売りがやってきた。
ひさしぶりの土産売りだった。
アサヒが聞いてきた。
「昼食はどうだ?」と、
お腹もあまり空いてないし、
どうせならここから帰ってでいいかと思ったので、
後でいいと言ったら、
じゃあ、俺たちは今から食べるからちょっと待っててという。
おいおい、そりゃないだろ・・・。
それなら食べますよ。
で、道の終点にある木で作られたレストランで食べる。
すると注文を土産売りの子がとりにきた。
レストランも土産売りもこなしていた子は、小学生ぐらいだろうか。
決してロリコン趣味ではないが、
顔にはタナカ(日焼け止め)をきれいに装飾しながら縫っていて
かわいらしい。
本当働き者だなあ。
無難なところで、ヌードルスープを注文した。
アサヒとドライバーは、一般的なのミャンマー料理を注文したようだが、
出てくる出てくる。
かなりの品数と御飯の量だった。
とても食べきれない量だった思ったが、
二人はあっという間に食べてしまったのに、御飯をおかわりしていた。
ヌードルスープはあっさりとして美味しかった。
麺は日本のラーメンの太い麺に似ていて、
具は野菜がたっぷり入っている。
少しアサヒたちが食べていた、ミャンマー料理をつまみぐい。
脂っこい気もしたけど、ぜんぜん抵抗なく食べられる。
食事を取り終えたころにやってきた。
「かわいいね~」と石をつないで出来たネックレスを日本語でアピールする。
「せんちゃっと(1000チャット)」。
また日本語だった。
結構日本人がこのあたりは来るのだろうか。
物売りが小さい子供ということだけではなく、
その物を売る距離感が、微妙に嫌味ではなく、苦痛ではなかった。
近すぎず、遠すぎず。
果たして本当に売りたいのかと思うぐらい、
土産を売っていることを楽しんでいた。
しかし、その土産というのは・・・
とても綺麗とは言いがたい石を紐でつないだネックレス。
いったいどこから仕入れているのか、はたまた作っているのか。
「重たそうやしいらない」というと、少し小さい目のを取り出してきた。
ん~そういう問題でもないんだが。
すると別の物売りの30歳ぐらいの女性がやってきた。
口紅が少し濃く、きれいに化粧をしている。
今度の売り物は・・・すいかの種を乾燥させて、数珠繋ぎにしたネックレス。
以外や以外綺麗だった。
すいかの種といわれるまでは分からなかったぐらいだ。
しかし、すいかの種を使う発想には、脱帽する。
でもこれを買って帰って誰にあげる?
いらないと言っても、女性は嫌な顔をしなかった。
レストランを後にして、船乗り場に向かう。
先ほどきた30歳前後の女性は、木に結び付けられた鏡を見ながら、
熱心に化粧をしていた。
目が会うとニコッと笑う。
まるで次の客には絶対逃さないよ。という合図のように思えた。
最初の土産売りの子供は、
少し年下の二人といっしょにやってきた。
いっそう賑やかになった。
みんなで、「せんちゃっと~」「かわいいね~~」と合唱する。
正直なところ買ってあげてもいいかなと思ったけど、
土産が必要ないものと分かってるだけに、
持ってかえる気にはなれなかったので、何も買わなかった。
子供たちは渡し船の乗り場までやってきた。
そして僕が船にのると、さすがに買わないと思ったのだろう。
どこで覚えたのだろう。
日本語で「けちー」とみんなで合唱するではないか。
思わず笑ってしまう。
岸からボートが離れていく。
子供たちは「けちー」の合唱をやめて、
手を振りながら見送ってくれたことに少し驚いた。
また同じ場所に戻ってくるから最後は愛想よくと思ったのか、
ただ子供だったから、無邪気にさよならと告げたかったのか。
再びこの場所に戻ってきたときには、
子供たちの姿はなかった。
船を渡りきると、
荷馬車が何台も待ち受けていた。
インワは道路が整備されていないため、
道の状態が悪い。
そのためほとんどの場所で車が通ることができないので、
荷馬車が活躍している。
馬の足音が心地よく響く。
荷台を支えているのは、木の車輪で、
地面の土のでこぼこを柔らかく捕らえているようで、
思ったより乗り心地は悪くない。
ただ思ったより、という程度でやっぱり揺れる。
道のでこぼこ、水溜りの出来ている場所、
それらを上手に避けて馬は荷馬車を走っていく。
たまにぬかるみに荷台の車輪がはまりかけると、
鞭を強くたたく。
するとぐっと力がはいるのか、
あっさりぬかるみから抜け出す。
なるほど馬って賢いんだなと感心してしまうが、
賢いがゆえにこうも人間の移動の手段となったと思うと
かわいそうな気もする。
椰子の木に囲まれているバガヤー僧院についた。
見た目には黒っぽいが実はチーク材でできていて、
それがすっかり雨風にうたれ色がついたのだろうか?
それともなにかを塗っているのか。
僧院の内部はかなり天井が高いのだが、
明かりが太陽光だけなのと建物の色が黒いので暗い。
あちらこちらには木の装飾が施されているが、
木が磨耗されて、はっきりとはわからないものになっている。
暗いと内部では授業が行われていたが、
暗くて目が悪くならないのだろうかと心配になってしまう。
馬車に戻るとひとりの女の子が馬に草をあげていた。
馬は草をほおばるわけでもなく、おとなしく食べている。
あらためて見ると馬は、ひっぱる馬車にくらべても、
そんなに大きくもないので、結構大変なんだろう。
当然、人間の足として飼われているので、
餌など十分に与えてもらっているはずがない。
馬を移動手段として慣れていない自分にとっては、
少しかわいそうだという思いもあったが、
この光景を見ていて少し穏やかな気持ちになった。
しばらくすると「草を食べさせてあげて」と、草を手渡された。
やっぱりおとなしく草を少しずつ食べた。
またその馬にのりしばらくでこぼこ道を走ると
ミャンマーのピサの斜塔と呼ばれる監視塔についた。
その名のとおり、建物は見事に傾いている。
大きな地震があり、そのときに傾いたようだ。
まわりにとりつけられている木の階段も傾き、そして急なので、
わりとスリル感があったりする。
横に傾いている階段を歩くというのは結構難しい。
階段をあがりきると展望台になっている。
おそらく以前は監視塔の役目だったのだろう、
360度の視界が開ける。
わずか27mなのだが、まわりに高い建物や山がないせいか、
妙に眺めがよく感じられる。
思ったより緑のしめる割合が多く、
その中にパゴタが点在しているのがよくわかる。
熱心な物売りの少女たちは多少しつこかったが、
晴天の下に広がるインワの大地は素晴らしい眺めだった。
マハーアウンミェ僧院の建物はレンガで作られていて、
重厚な印象の僧院だった。
アンコール遺跡のタケウ寺院と形が似ているが、
褐色の黄土色をしているところは違う。
外は灼熱地獄だが、中にはいるとひんやりしていて涼しい。
寺院内は裸足で歩くので、余計に足元から涼しさが伝わってくる。
何人かの子供が楽しそうに遊んでいたが、
ひとりだけぼーっと立っていた男の子と目があった。
まるでザガインヒルと同じように、
話かけられるわけでもなく、少しの距離を置いてついてくる。
ただ外国人への興味だけなのだろうが。
内部を進んでいくと、外に白い綺麗なパゴタが目にはいった。
外に出られるらしいのだが、そこも裸足で歩かなければならない。
日中石がずっと照らされていただあって、かなり熱い。
熱いというより足が焼けるようだ。
さすがに男の子も暑いのかついてこずに、
入口でこっちの動きを見続けている。
白い仏塔は、灼熱の太陽に照らされ輝いて、
青い空とのコントラストが美しい。
塔の向こうには、インワ鉄橋とザガインヒルを
望むこともできた。
マハーアウンミェ僧院でも物売りがうるさかった。
入口でつきまとわれたので、帰りにゆっくり見るよとか、
物売りに言っていたので、
帰りは寺院の中をとおらずに裏側から回り道をして、
馬車にもどった。
約2時間の馬車でのインワ観光を終えて、
船乗り場に戻ってきた。
最後に馬車代を払ったのだが、これだけまわって約300円。
あまりの安さに少し気兼ねするほどだ。
インワは本当に昔ここに都があったのだろうかというほど、
衰退していた。
渡し船にゆられインワを後にした。
ウーベインブリッジで夕暮れを待つ
再びウーベインブリッジに到着した。
サンセットはだいたい6時。
で、時計を見るとまだ3時すぎ。
ウーベインブリッジでのサンセットを見るために、
戻ってきたのだが、ここで日が暮れるのを待つという。
午前中に訪れかなり気にいった場所とはいえ、
3時間も待たなければいけないとは。
まだ日差しが強く、ここまでの観光で疲れたので、
しばらく橋が眺められるレストランのデッキで
休憩することにした。
だが日陰でも結構蒸し暑く、快適に昼寝するには至らない。
うとうととしては、目が覚め、そしてまたうとうと・・・。
ほぼ寝かけたときに、誰かが肩をたたいている。
隣の席で酒を飲んでいたミャンマー人だった。
さっきまでは3人いたのだが、
今はひとりになっていて、暇だったらしい。
そしてこっちでいっしょに飲もうという話になった。
しばらくは酒を飲まずに2人で話をしていたが、
彼は自分以上に英語が苦手なため、
なかなか会話が続かないが、
横にいたアサヒ(ガイド)の通訳を交えながら話をしていた。
しばらくすると残り二人が帰ってきた。
聞くと年齢がふたりとも32歳ということで、
いっきに話が盛り上がってきた。
年齢がいっしょだと妙に親近感が湧いてしまう。
もともといた彼は26歳で、銀行の研修をうけるために、
マンダレーにきているという。
そして今日は休みだったので、
ウーベインブリッジに観光にきたらしい。
しかし、昼間から男3人で酒を飲んでいるとは、
ほかにすることはないんだろうかと
ふと疑問に思ったりもしたが、
ここはミャンマー、遊びなどほかにないんだろう。
後からきた二人はそこそこ英語は話すが、
なんせ発音が分かりずらい。
単語1つをとっても、ぜんぜん聞き取れないこともあったが、
アサヒに何をいってるのかを聞いてみると、
あっさり日本語で答えてくれる。
あ~それを言いたかったのか。と妙に納得する。
アサヒは英語で聞き取れるのに、自分には聞き取れない。
それが単語だったりするから、英語力の問題じゃなく、
これこそアジア英語だなと思った。
タイでもたまにそういうことがあったが、
さらになまり度が増したようにも思った。
乾杯しようという話になった。
瓶ビールはミャンマーでは高級品だ。
物価から考えれば1本が15,000チャット(約120円)は
結構高い。
ほかのみんなはヤシの樹液からとったという濁った酒を飲んでいた。
値段を消けば1.5リットルほどのペットボトルにはいって、50円ちょっと。
まさに庶民的な値段というか、それを基本に考えれば、
ビールはかなりの高級品だ。
それでも昨日の夜いった、
ビアステーションの生ビール30円なら飲めそうだが。
ひとりだけビールをぐいぐい2本も開けてしまった。
こっちの酒も飲めといわれ、
最初はビールがいいと断っていたのだが、
高いビールばかり飲み続けるのも、どこか気がひけたので、
すすめられるがままに飲んでみた。
ちょっと甘いが意外とすっきりしてていける。
アルコールもそれほどはきつくない。
そうして同年代の男ばかり4人で、
昼間から酒を飲みながら、話続けていた。
だいたい1時間ぐらいしたところで、
ウーベインブリッジへ行こうという話になった。
しかし、せっかくのサンセット、
ゆっくり写真を撮りたかったので、
また後で合流しようということで、一旦別れた。
夕暮れに近づき、いっそう橋を訪れる人が増えていた。
僧院から帰ってくる修行僧、水辺で遊ぶ子供、
家路につく人たち。
ようやく灼熱の太陽から開放され、
橋の周辺にも気持ちのいい風が流れ始めている。
結構アルコールが回りかけていたので、
いっそう気持ちも良かった。
1つ印象に残った場面があった。
すごい日焼けして真っ黒になった子供たちが、
すっぽんぽんで水辺で遊んでいた。
その日焼けの黒さは、たんなる日焼けとうより、
焼け焦げたような真っ黒さで、
まったく教育うけていない貧困層の子供なのだとは
一目でわかる。
しかし魚を捕まえたりして、楽しそうに遊んでいる。
その光景を僧院帰りの幼稚園か小学生低学年ぐらいの
修行僧が食い入るように見ている。
水辺で遊ぶ子供たちが移動すれば、
また同じように子供の修行僧も移動してついていく。
まるで、弟が兄についていくような感じで。
ただふたつの子供のグループの間には、
会話のひとつもなく、
お互いの世界に超えられない一線をもっているのは
確かのようだ。
ただ貧困層の真っ黒な日焼けした子供たちのほうが
楽しそうに遊び、
一般層の修行僧が羨ましそうに見ていたは印象的だった。
しばらく橋桁の下あたりでうろうろしていると、
先ほどの3人がこっちのほうに近寄ってきた。
そろそろマンダレーに戻るという。
いっしょに帰って、食事でも食べに行こうという話だったが、
自分はやっぱりここで夕陽を見ることが楽しみだった。
最後に写真をとり、アドレス交換をして、分かれた。
乾季から暑季にかけては、
川の水が干上がるために橋桁のほとんどが地上に現れる。
逆に雨季になれば、
橋桁のほとんどが水の中に埋もれるというから
信じがたいものがある。
午前中に訪れたときは不思議という感覚が強かったが、
そういう感覚はなくなっていた。
目の前で繰り広げられている光景に魅了され、
それが不思議というより、美しいと思えるようになってきた。
美しく見えたのは、景色でも橋でもなく、
人間らしい生活をするミャンマー人だった。
日本でも少し前までは当たり前の光景だった。
学校が終われば子供たち同士で外で日が暮れるまで遊ぶ。
働く人も、仕事が終われば夕方に帰宅し、家族で食事をとる。
子供の頃(20年前ぐらい)だと車も少なく、
女性や子供は自転車に乗ることがあたりまえだったはず。
やっぱり日本人は物質的な豊かさや便利さを追求しすぎ、
そして急ぎすぎてたのかもしれない。
よく議論され、話題にされることの多い問題かもしれないが、
ここミャンマーにきて改めて実感する。
わかってはいるのだが、知らない間に日々の生活に流され、
そして忘れていってしまう。
そんな懐かしくも、羨ましいミャンマーの風景に夕暮れが訪れる。
橋の上を歩く修行僧の袈裟のオレンジ色もまた、
夕暮れの色と相成って、美しかった。
周辺が暗くなるにつれ、橋桁が影絵のように映し出される。
昼間よりも人々の動きがよく見える。
日が沈むといっきにウーベインブリッジは暗闇につつみこまれた。
約30分かけてマンダレーのホテルに戻った。
小額ドル紙幣がなかったので、12ドルという約束だったが、
15ドル渡して、釣りはチップとして渡すこととした。
だがアサヒはそれほどの感謝を示さなかった。
感謝を強要するのはおかしいが、
3ドルといえば結構な金額のはず。
悪いやつでもなかったし、
ちゃんと案内もしてくれたのだが、
少しそっけのない感じの印象だった。
一度ホテルに戻り近くの中華風のレストランで夕食をとった。
入口近くに席をとり、ビールと焼き飯を注文した。
だがこの焼き飯の量が半端でなく多いこと。
食べていると、入口付近で5歳ぐらいの小さい女の子が
こちらを見ている。
身なりからすると、物乞いだろう。
何かを頂戴という合図を送ってくるのだが、
本当に何かほしいのだろうかというほど、無邪気だ。
そしてこちらも何かしらの表情や手振りで答えると
また笑い返してくる。
その屈託のない少女の笑顔はすごく印象的だった。
その少女は母親と
抱きかかえられた赤ちゃんとの3人家族できていた。
母親の手にはビニール袋がかかえられ、
自分に何かを頂戴と手を差し出してきた。
お金をあげることには抵抗があったので、
その子供の笑顔にまけて、
ポケットにはいっていたキャンディーを3つ渡した。
よく周辺をみると小さな子供が走り回って遊んでいる。
同じ境遇の子供たちなのだろう。
ホテルへと足をむけたが、
さきほどの少女と別の男の子がついてきた。
少しの間、肩車などをして遊んだ。
なぜなんだろう、物乞いなはずなのに、
汚さというのが微塵にも感じられないし、
物乞いの嫌らしさも感じない。
子供だけでもなく、大人もそうだった。
昼間のマハガンダーヨン寺院の物乞いもそうだったし。
フロントで予約していた明朝のバガン行きのボートチケットを受け取り、
明日も早かったので早々に寝床についた。